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プロローグ 暗闇…… その誰もが忌避するはずの特殊な環境、それは人の持つ五感のひとつを強制的に断ち切られたことによる、いわば理性と感情との間の隔絶であり、いかな修練によって耐性を身につけたからといって、完全には克服されることのない混乱を呼び起こすものといえよう。 だが、それゆえに、 その中で文字通り暗躍する理(ことわり)もまた、陽光の中で行われるいかな所業とは、まったく違ったものであったとしても、それは逆に道理といえなくはないか。 そんな道理を互いに付き合わせ、刃をもって確かめようとする者たちの世界が、そこにはあった。 闇を切り裂く刃の痕、そこに光なぞありはしない。さらに深い闇が口を開くだけなのだ。互いをより深い闇に引きずり込む、漆黒の闇。いつしか道理は沈み、融け混じわり、 そして知る…… 決して姿形を目にすることの適わぬ「ソレ」が、もっとも自分に近しい存在であることを。 1 ミッドガルドの首都であるプロンティアは、その四方を高い壁によって囲まれていた。無論それは魔物から首都を護るためであり、事実過去において魔物の大攻勢によって幾度となく首都壊滅の危機に陥ったこともある中で、その最後の防衛戦の主な舞台ともなったのも、この堅牢なる防壁においてであった。 今、その高い防壁の壁が作る影も短くなり、辺り一面が暖かい陽光によって萌え立つ草木の息吹も勢いを増しつつあった。 そこは首都からみて西方に位置し、それゆえ凶悪な魔物も存在しない比較的平穏な場所のひとつだった。小高い丘の上には1本の背の高い広葉樹がそびえ立ち、そこから南には、プロンティアお抱えの庭師たちの手による見事な花壇を見ることができた。 1年中、爽やかな風が絶えることのない。そんな丘の上は、彼女にとってもっとも思い出深い場所であり、何かあってもなくても、気が付いたらそこを訪れていた。 「あらっ?」 不意に、見慣れた光景であったはずのその丘の上に、いつもと違う存在のあることに驚き、そしてそれが妙に彼女にとって違和感の感じられないものであったことにさらに驚いた。この場所に人の姿を見かけるのは本当にいつ以来だろう。 「はい?」 振り向いたその顔は、その一瞬後に何かに気づいたような申し訳なさそうな色を浮かべ、腰を下ろしていたはずの身体は立ち上がってリリの方に向き直った。 「ごめんなさい。あなたの場所だったのかしら? あまりに気持ちのいい所だったので、つい……」 若い、ウィザードの娘だった。見た目は彼女と同じか少し年上に見える。慌てた仕草もするがどこか落ち着いた雰囲気もあった。ただ、その申し訳なさそうにする様子は誠実で初々しく、好感がもてた。 「全然平気ですよ? ここは誰の場所でもありませんし、むしろ気に入ったのであれば、いつでも来てもらって欲しいぐらいです。あたしなんかも、気が向いたときにぶら~って、やってきて景色を眺めてぼーっとして……。 本当、今ではほとんど誰もいない場所だから……」 「今では?」 思わず口走ったリリの言葉を、娘は不思議そうに問い返した。 「あ、あたしったら……。ええ、以前はもっとたくさんの人が訪れていたんですよ、この丘に」 「そうだったんですか? そうよね、こんなに素敵な場所だもの、わかります」 なんだろう、この感じ…… リリは、今このとき初めて会ったにも関わらず、目の前のウィザードに妙な既知感を感じていた。 (この人は、あたしと同じだ) この場所のことが好きで、ただ居るだけで落ち着けて。そんな風に感じれる人が集まってきて、一時期、この丘はとても賑わっていた。 誰からというわけでもなく初心者の相談に応じたり、難しい任務があると我先に手伝ってくれたりするようになり……。 彼女自身、ここでたくさんのことを学んだ。学校などよりも、実はこの丘でより実践的で役に立つことや、実はまったく何の役に立たないことなども……。 何もかもが楽しかった。それは同じ風を尊いと思い集った人々と一緒にあったから。 「そうでしたか、思い出の場所なんですね」 「ええっ」 はっ、知らず知らずのうちにそんな思い出話をしてしまっていたようだ。いつの間にか同じように腰を下ろし、景色を眺めながら……。 「でも、ケンカ別れをした訳じゃないんでしょう?」 「ただなんとなく……一人、また一人、ここに姿を見せなくなった。あたしも転職して……プリーストになって何かと忙しくなったりして」 どうしたというのだろう? 久しく感じたことのない安心感が、彼女にそんな身の上話じみたことをさせてしまっている。今日はじめて会った相手だというのに。 「寂しい話……」 「えっ?」 ドキッとしてリリは聞き返した。それは自分が一番わかっていて、それで認めたくなかったこと。暇を見つけてはここに訪れては、懐かしさよりも、「今」がそうでないことへのやり切れなさの念にとらわれてしまうことを覚悟して臨む思い出への回顧。 「きっと、皆さん、同じ気持ちだったのじゃないかしら。楽しかった思い出をそのままに残しておきたかったから、それが変わってしまうのを見たくなくて、そこを離れた。 本当は、変わっていくのは自分自身、それは誰にもどうしようもないことなのに、ね」 (どうして……?) なぜたまたまこの場所を訪れただけの人が、こんな風に自分の心を揺さぶるような、思い出を振り返させるようなことが言えるのだろう? いったい、この人は……。 「あの……」 「はい?」 意を決したように、リリは話しかけた。 「もしよかったら、またここに来てくださいませんか? あたしも、もっと来るようにしますし……」 それは儚い、自分の身勝手な願望に過ぎなかった。別にかつてのように大勢が何かしら集うような、そんな賑やかさを求めているわけではない。何より、リリが欲しいのは、この場所があって、そのときそこに居た人々があって、そうしてはじめて生まれた、まるで家族のような繋がりだったのだから。 新しくこの場所に人が集まってきたからといって、それはもはや昔のそれとは別の何かにしかならないのだ。 そんな彼女の心情を知ってか知らずか、まだ名前も聞いていないウィザードの娘は、残念そうな顔をして、 「ごめんなさい。あたしはたまたま用事でここに来ただけだから。プロンティアに来たのも実は初めてなんですよ」 「そ、そうですよね。無理を言ってすみません」 「でも、機会があれば、ぜひまたここで時間を過ごさせてもらいますよ。だって、こんなに落ち着ける場所は、これまでどこにもなかった。本当にいい場所だから」 「ええ、その時はぜひまたお話しましょう」 そろそろ時間のようだった。陽の高さからそれを伺い、この見知らぬ来訪者は深々とお辞儀をすると丘を後にした。 いつもと変わらぬ景色、いつもと変わらぬ風の匂い。それだけはリリの知る限り何も違ってはいない。 今日はたまたま誘われるように、一羽の蝶がそこに立ち寄った。 ただそれだけのように…… 2 「ホルグレンが手を入れたグラディウス? 確かにオリデオコンの光沢があるわ。でもダメね、この青白い斑は……素材自体があまりいいものじゃなかったようね」 「ちょっ、そりゃねえぜ、お嬢ちゃん。そりゃ、多少難はあるかも知れねえが、見てくれよ、この軽さ、出来は悪くはないはずだぜ?」 そう言って売り込む露店商に、商品を物色していたリリは悪戯っぽく微笑んで、 「『出来が悪くはない』というのと『出来がいい』というのは同じ意味じゃないでしょ? 残念だけど、この値段じゃ誰も買わないわよ。そうね、これの半値ぐらいにして、まだ駆け出しの初心者にでも役に立ててもらうのね」 「って、まだ若いのにきついこと言うねぇ。第一、あんたプリースト(聖職者)だろ? いったいどうして刃物の目利きがそんなに達者なんだい?」 「うふふ、そりゃいろいろとね。商売がんばりなよ、おじさん」 「かなわねえなぁ……」 首都プロンティア内に設けられた露店広場。その油断ならない商人たちとのやりとりも、リリにとっては楽しみのひとつだった。露店商が驚いてみせた武器防具の知識、戦士たちの求める物の価値基準もまた、彼女はあの丘の上で教えてもらったものだ。 そんなこともまた、懐かしさとともに思い出される。 いったい今日はどうしたというのだろう? やはり先ほど丘の上で出会ったウィザードのことが気になっていたからなのだろか。 「!」(リーン……) そんな風に思いながら、平和な露店広場の喧騒を聞き流してた彼女に、特別な音色の鈴の音が飛び込んできた。 それは極めて小さな音で、今のように大勢の人ごみに紛れていなくても、そう、わずか数人の話し声があるだけで、その微小な音色を聞き分けることは不可能になる、そう思えるほどのものだった。 しかし、リリにとってそれは馴染みのものであり、彼女と、そしてもう一人との間にだけ通じる合図のひとつであった。 (仕事ですか? お姉さま……) * * * 話はその数時間前にさかのぼる。リリが西の丘で不思議な娘と出会ってからしばらくしての出来事だ。 「おーい、ミサキ! いったいどこに行ってたんだ? ずいぶん早く出発したって聞いたもんだから、とっくに到着してるもんだと思ってたんだぜ」 「ごめんなさい、ソーマ。時間があったから、少し景色でも眺めていただけよ」 ミッドガルド最北の都市アルデバランから、今回のギルドの目的地である首都プロンティアまでは、各自どんなルートを使って来てもいいことになっていた。直接歩いてきてもいいし、カプラサービスを乗り継ぐのも、また知り合いのアコライトやプリーストに頼んでポータルによって転送してきても、それは自由だ。 高い防壁によって囲われた首都プロンティアのに入ることのできる4つの出入り口のうち西の城門のやや南が集合場所であり、マスターであるアガタをはじめ、すでに全員が姿を見せていた。 妙にそわそわした様子のミサキに、 「ふーん……なんかいいことでも合ったのかい? なんだか嬉しそうだ」 「え、そう? そうね、とってもいいことがあったわ」 「なんだって! いったい何があった? 教えろよ、ミサキ」 「ソーマには関係ないことよ。それに」 ミサキはソーマを軽くあしらった。 「もっといいことは、これから起こるんですもの」 「えらく、浮かれているようだねえ」 「あ、マスター。遅くなりましたが、今到着しました」 集合時間には十分間に合っていたので、満足そうにうなずくと、 「まぁ、これで全員揃ったようだね。今回は依頼を受けての仕事じゃあないからね、みんな気軽に首都見物でも楽しんでおくれ」 「あいよ、おかしら。たまにはこうやって羽を伸ばさないとなあ」 「本当だぜ、なにせミッドガルドの首都だからな」 「おいおい、あんまり羽目を外すんじゃないよ。もしギルドの顔(エンブレム)に泥を塗るようなことをしでかしたら、ただじゃおかないからね!」 「へいへい、わかってるさぁ、おかしら」 「まったく、」 彼ら守護天使の一行が首都を訪れたのは、先日のニブルヘイムでの功績によって、その功労者であるギルド「守護天使」に国王自らの手で褒美が渡されることになったからだ。 相手が単独のギルドにすぎぬため、式典と呼べるような催しはなかったが、それでも代理などを使わず国王本人が直接応対し、言葉をかけてくれるのだという。 これまでアルデバランに位置する弱小ギルドに過ぎなかったアガタたち守護天使にとっては、近年稀にみる快挙であり、正規ギルドの認証を受けたからには、行政庁からの依頼を受ける資格を得たことになり、これまでよりもっと重要な依頼がやってくることになるはずであった。 「それじゃいよいよ出発するよ、先に入ったコリンが宿を手配してくれてるはずだ。いいかい、首都はすごい人だからね、はぐれたりするんじゃないよ」 まるで浮かれた子供たちを引率するように、アガタを先頭にして検問所に向かった。この平和な時期、検問所の審査もそれほど厳しいものではない。何より、守護天使には国王の印の入った召喚状があるのだ。どんな気難しい警備兵であっても、何も言わずに通してくれることは明らかであった。 防壁の巨大さを示すように、長い通路を通るようにして首都プロンティアの内部に足を踏み入れた守護天使の面々は突然、大量の人の往来の渦を目の当たりにし、その喧騒に一様に顔をしかめた。 「こりゃすごいねぇ、ほんとに迷子の一人や二人、出そうだよ」 呆れ顔のアガタであったが、 「おい、ミサキはどうした? 姿が見えないぞ」 「知らねえよ、ソーマの傍に居たんじゃないのか、つうより、いつもべったり付きまとっているのはお前さんの方だったな」 「ちがっ、それは違うだろ! それより、本当に居ないんだ。門に入ったところまでは一緒だったんだぜ」 なにやら後方で騒ぎになっているようだ。 「なんだい、さっそくかい。仕方のない連中だねぇ。ほらぁ、いったいどうしたんだい?」 不満げに歩み寄るアガタに、後方からムーバが耳打ちをしてきた。無論他の連中には聞かれないように、だ。 「かしら、ここはワシに任せて連中を連れて宿に入ってくれんか。何か分かれば連絡する」 「わかったよ、それまで動くなってんだろ?」 (ち、厄介ごとかい) 3 「う、ううう……」 薄暗い部屋……、まだ意識の朦朧としているものの、ミサキはうめき声を上げながら僅かずつだが目を開いた。 そこは四方を壁に囲まれた場所であった。灯りと呼べるようなものはなく、最初に見えた天井をはじめ四方の壁からところどころ燐光のようなものがあり、それを不十分ながら内部の様子を照らし出していた。 「いったい、ここはどこ?」 あらためて周囲を見渡してミサキは愕然とした。 「扉どころか、窓ひとつない……、どうしたというの?」 確かに、そこには出入りができると思われるいかなる物も見当たらなかった。それはつまり、通常の手段でこの部屋に送り込まれたわけではない、ということを意味し、同時にミサキは自分の意志ではそこを抜け出すことが絶対に不可能だということでもあった。 「どうしよう……」 --目が覚めた? 「だれ!?」 不意に、何もない壁に仕切られた部屋に、聞き覚えのない声がミサキに話しかけた。見渡してみても声の主は見当たらない。 「あなたが、あたしをこんなところに閉じ込めたの?」 --…… 答えはない。ミサキは自分のおかれた状況の中で、確かなものから順に試みるしかなかった。まずはこの場所が不可思議な場所であり、自分は閉じ込められていること。 そして、閉じ込められたからには、それを行った誰かがいるはず。そして自分が目を覚ましたときに話しかけてくるとしたら、その「誰か」あるいはその関係者である可能性がもっとも高いのではないか? 「隠れてないで姿を見せて」 ミサキは寸瞬、思案をしたようで、実は決断は早かった。 (これは噂に聞く穏行……周囲の色や形と同化するという、ハイディングかしら?) --ボッ ミサキはその魔法の力で火炎の精霊の力を呼び出した。燃える炎の塊が彼女の周囲を巡った。その光と熱の変化が、遮るものとてない部屋の中で明らかな陰陽をつくり、いかに見事に周囲と同化しているとはいえ隠しきれぬその実態を映し出した。 「ちょ、いきなりっ」 「そこねっ! 火炎顕(あきら)かにして壁と為せ! ファイヤーウォール!」 「もう、なんて容赦のないっ!」 再びハイディングによって姿を隠すゆとりもなく、声の主はミサキの前に正体を現すことになった。身軽な装備は疾速をもって旨とするアサシンの装束だった。体つきからすると女のようだったが、その下半分を覆う布帯のために顔を確かめることは不可能だった。それに、疾い……。 牽制のための火壁は最短距離で自分に襲い掛かられることへの付せんだった。しかし、驚くほど疾くそれを回り込み、ミサキに迫る黒い影に続く追撃の呪文は間に合わなかった。 「火炎の業を持ってかの敵を……ああっ、ぐっうっうあ……」 一瞬のうちに羽交い絞めにされ、何かの薬をかがされたのであろう、再び深い眠りに落ちたミサキを見下ろし、そのアサシンはため息混じりにつぶやいた。 「ちょっと余興が過ぎたわね。私たちの仕事は、決して顔を見せてはいけないの。まさかこんなことになるなんて……私は助けに来たというのに」 少し様子を見ようとして怯えさせすぎた。しかも予想していたよりもはるかに対処が早く、手を抜けばやられていたのは自分の方であったろう。とはいうものの、こんな狭い空間ではミサキたち魔法使いでは、穏行と疾速を身上とするアサシンにくらべてあまりに不利であることは否めない。 「まったく、素直に話を聞いてくれていたら、抱えなくても帰れたのに」 * * * その頃、ムーバ以外の守護天使の面々は、予約してあった宿で待機を余儀なくされていた。 「やっぱり助けにいきましょうよ、かしら! ただこうして待っているだけで、いったいどうなるっていうんだ!?」 そう言ってまくし立てるソーマに、アガタは困惑しつつも、自分だって心情はそのとおりだ、と心の中で叫んでいた。 「おだまりっ! ムーバが『待て』と言ったんだ。迂闊に動かない方がいいんだよ」 「しかし、おかしら!」 アガタとて、全てを知っているわけではなかったが、自分が絶対の信頼を置くムーバの言葉を今は信じるしかなかった。 (あの検問所……そうさ、あれに何か仕掛けがあったに違いないんだ。だとしたら相手は……) 王城の管轄である検問所の警備に、そんな派手な仕掛けを他の何者かが仕込むなんてことは考えられなかった。王城、ひいては行政庁のいずれかによる恣意が働いていたことになる。 そんな裏の事情も、実際には想像でしかなかったのであるが、守護天使にとっては、時期が時期であるだけに迂闊なことは避けなければならなかった。まして、表立って事を構えることにでもなれば……。 さすがに、辺境育ちである彼らには首都の事情については詳しくはなかった。ムーバだからこそ、自分の気づかなかった何かにいち早く気づき、何らかの手段を用いてミサキの行方を見つけてくれるに違いない。 「とにかく、待機だ。いいか、これは命令だよ」 再び、アガタが血気にはやるメンバーたちを諌めた。そのとき、 --コンコン 「!」 時ならぬドアをノックする音に、一様にみな口をつぐみ、状況を見守った。さてはムーバからの知らせか。 「誰だ?」 しかし、それを自分の都合にいいように解釈するほどにはアガタは育ちはよくなかった。常に裏があり、物事は一筋縄ではいかないものであることを、彼女は幼少の頃より身にしみて、そうして生きてきたのだ。 「リリという者です。守護天使の皆様にお伝えしたいことがあって参りました」 「そうか……、いいさ、入ってくれ」 「恐れ入ります」 知らない名だった。しかし、彼らを除いては、明日に控えた正規ギルド承認の儀について彼らギルドとの連絡役の担当者しか、この場所のことは知らないはずであった。 はたして、入ってきたのはひとりの若いプリーストの娘だった。物言いは丁寧で、それでいてその上品そうな出たちに反して、ひいき目にも上品とはいえない彼ら粗野なギルドメンバーたちを前にしても、少しも動じる風でもなかった。 (ずいぶんと肝が据わってる。只者じゃないのかねぇ) にっこりと微笑むその姿は、けっして警戒心を抱かせるものではなかったが、逆にそうできること事態が、アガタにして警戒させるものになっていた。 「で、何の用だい?」 「はい、お連れの方の行方についての情報と、少しばかりお願いがあって参りました」 「なんだとっ! ミサキの行方を知っているってえのかい!?」 「はあ……(汗)」 それこそが、今彼ら守護天使が一番知りたかった情報であった。勢い声を荒げ、詰め寄るようにして若いプリーストに詰め寄る。 「あの、落ち着いてください。何があったか、についてはあたしも依頼を受けた身ですので申し上げる訳にはいかないので……」 「構やしないよ。場所だよ、ミサキが今いる場所さえ分かれば、あたいたちがなんとかして助け出す」 「それは、おそらくあなたたちには無理だと思います」 「どういう意味だい? あたいたちはこれでも北方を護る守護天使だ。正規ギルドへの昇格も決まっている。バカにするんじゃないよ!」 リリは、そういってまくし立てるアガタと、そうだそうだ、と後ろで同調する男たちの様子を伺いながら。妙に納得したようにうなずいた。 「あたしの役割がようやく飲み込めました。ずいぶんと威勢のいい方々ばかりだったのですね。申し訳ありません、お願いの方を先に伝えます。その、ミサキさんの救出は現在、あたしの仲間が向かっています。ご心配なさらず、ここで何もせず待っていていただきたいのです」 (救出に向かってるだって?) いったいどういうことだろう。何より、ミサキを助け出したいのは他ならぬ自分たちだった。いったい誰がそんな依頼を出したというのだ。 (まさかムーバが? いやそんなことがあるわけない) ムーバであれば、もし居所が分かったのであれば、何をおいても自分自身で救出に向かうであろう。理由は簡単だった。それが一番確実だからだ。彼女の知る限り、こういった「仕事」においてムーバほど頼りになる人間はいない。無論、表だけでなく、「裏」の仕事をも含めてのことだった。彼女とてアサシンである、そうった事情にはある程度精通していた。 「依頼主の意向は、極めて穏便に事態の収拾を図るというものです。すべては無かったことに……そのためにあたしたちが動いたわけですし、あなた方にはじっとしていてもらいたいのです。騒ぎを起こすのはあなた方にとっても今はよろしくないんじゃありませんか?」 (ああ、そのとおりだよ) 悔しいことに、ムーバの指示と同じことをこの娘も言う。 「ご心配なさらないでください。あたしたちは、これでも名前の知れたエージェントですのよ。きっとミサキさんをお助けいたします」 「あんたの言っていることはよく分かった。信用できる証拠もなにもあるわけじゃないが、『仕事人』がわざわざ姿を晒してまで断言してきたんだ。その信憑性を疑うのはあたいら裏の稼業の仁義に反するさあね。でもねぇ、そうなると少々……」 「はい? どうかいたしましたか?」 「実は既に動いているヤツが居てね。あんたががたの助けがなくても、きっと一人でミサキを助け出しちまう。それほどの男が……」 事件のあった直後から動きをはじめたムーバの実力を、アガタは疑っていなかった。彼女だけが、彼の正体を知っていたからだ。 「まさかっ! いくら何でも、それは不可能だわ。たとえ居場所が分かったとしても、いえ、なおさらそこにたどり着けるはずがない」 自分たちだからこそ、それが可能なのだ。絶対侵入不可能なあの場所に……。 4 プロンティアの西方の地下には、その迷路のような構造の中に無数の魔物が巣くうようになってなかば廃棄された古い下水施設がある。その最下層の、さらに奥には、プロンティア城地下へと通じる回廊への入り口が隠されていた。 もし万が一魔物の襲撃によって首都が陥落するような事態が生じたときのために、プロンティア城建立の際に秘密裏に設置されたものである。 無論、それは王とその極めて近い側近たちを除けば、ほんの一握りの人間しか知らない秘密の回廊であった。逆にそれを通って不審者が紛れ込むようなことがあってはならないからだ。 そして今、いったいどういう理由でこの秘密の回廊のことを見知っていたのか、守護天使の老騎士ムーバがこの100年来というもの、決して開かれることのなかった回廊への扉を開いたのだ。 「これが見つかればただでは済まぬ、か」 --自嘲 この回廊の秘密を知るムーバは、逆に言えばその重要性と、その秘密のいくつかをも知っていた。プロンティア検問に張られていた古代魔法による防衛システム同様、回廊への扉が開かれたと同時にそれはしかるべきところに知れ渡ることになったはずであった。 「だが……」 その重要性と秘匿性のためゆえに、その秘密を知るものは最低限の者に限られるはずであった。当然、自分の侵入を阻むために回廊に配置されるであろう人員は多くて4~5人。そして相手がその程度の人数であるのであれば、それがどんなに屈強な戦士であろうとも、それを突破する自信が彼にはあった。 「ワシの記憶が間違っていなければ、場所は『あそこ』か」 ムーバは、西の検問での不可思議なミサキの消失に、ひとつの可能性を見出していた。この回廊が作られたと時を同じくして検問所に施された古代魔法。それはとっくの昔に廃れ、機能しなくなったとされていた。 かつてムーバが若かった頃のことだ。 押し寄せる魔物の大群を前にしてプロンティアを護るこれら古代魔法の復活が試されたことがあった。魔法のことは自分の手におえる事柄ではなかったが、当時プロンティア守護の要職にあった彼と仲間たちは、その役どころゆえにそれらの試みの概要を知ることになった。 ずいぶんと昔の話で、それら魔法の究明に当たった宮廷魔術師たちですら、現在はその誰も生き残ってはおらず、結局古代魔法の復活はなされなかったが、その機能については聞き及んでいた。 検問所に施された魔法は、外部からの侵入しようとする異分子をより分け、魔法の力によって自動的にアリーナと呼ばれる牢獄に転送してしまう、というものだ。 誰かがそれらの古代魔法を復活させたに違いない。それほど優れた宮廷魔術師が、今の王城を護っているということになる。油断はできそうもない……。 そして今回の事件を、かれはまるで自分の責任のように感じていた。 「あの娘には血の刻印がない。それが古代魔法の検閲に引っかかったか」 それは守護天使の中でも、彼だけが気づいた事実。そしてあえてアガタにすら伝えなかった秘密であった。 ミサキを見たときに感じた最初の違和感の正体は、彼にして驚きを伴うものであったが、彼女の戦いぶりと、そのとき感じた高揚感は今も肌に感じる記憶として残っていた。 手放すには惜しい才能、いや個人的にも彼はまだそんな未熟さを隠そうともしない若いウィザードを気に入ってしまっていたのだ。 まだほんの子供であったアガタとの出会い、彼女だけでなく、そんな年端もいかない子供たちが徒党を組み、山賊まがいの粗暴さで大のおとなたちの世界に立ち向かっていた。そんな彼らを導き、理を説き、今では正規ギルドにまでなろうというところまでになった。 ミサキは、最後に彼が出会った新しい希望のひとつだった。 ムーバは、これが自分の人生にとって最後の「仕事」になるであろうことを自覚していた。闘いに傷つき、老い、それでも生き長らえてきた自分が残すことができたかも知れない何かを護るために。 「回廊の守護者か」 それは護るべき回廊自体が秘されたゆえに誰の口にも上がることのない、闇の世界であっても噂以上になることのなかった、ひとつの伝説であった。 5 まるで音のないその歩み、それはその主が常人ではあり得ないことを暗に物語っていた。徐々に光を失いつつあるこの漆黒の回廊にあって、怯える素振りもみせず歩を進める。 見た目は軽装の騎士のように見える。しかし、いかに注意して気配を消そうとも、普通の騎士がこれほどまでに見事に音も、ましては息遣いまでをも消し去ることが可能だろうか? それは、当の本人でさえ如実に自分の正体を明かしていることを自覚した上で、おそらくは迫ってきている凶客に対抗するためのものだった。 --むっ 急に飛び込んできた殺気に反応し、ムーバの姿は闇の中に消えた。 --カキッ、ガキーン! 闇の中に響き渡る金属音は、それが彼らの奏でる死の宴の開始を物語っていた。 (やはり……ただの騎士ではない) もちろん、これから倒すべき相手に語りかける言葉などはなかった。しかし、幾度となく交わる狂刃の合間、その決着が一瞬では付かないものであることが明らかになるにつれて、言葉にはならない何かが闇を通じてやってくる。 (強い……、これが当代の「回廊の守護者」の力か) (引けっ、ここは通さぬ) (引けぬよ、若造っ!) もはや疑うべくもない。 闇の中を自らの住処とし、そこに刃を掲げる者。彼らは冷酷な暗殺の業を身につけた彼らは、畏怖をもってアサシンと呼ばれる者たちだった。 なにゆえムーバが騎士の格好をしていたかは謎だが、今はそんな姿格好で周囲の目をそらす必要性も、そして正体を隠すどんな理由もありはしなかった。 少しでも気を抜けば、無残にも人の通らぬ回廊に屍を晒すことになる。そんな刹那の中で、互いが互いの力について推し量ろうとしていた。攻撃の合間のちょっとした癖、違和感……そんな微かな事象でさえ、雌雄を決するに十分な材料を与えてくれることすらあるのだ。 (なんだ……これは) 違和感、だがしかし、その正体が分からなければ逆に不利になるのは自分の方だ。 --ガキッ! (何っ!) --パリーンッ! 「ぐっ!」 初めて、彼らのうちのどちらか一方の刃が相手に届いた。しかし、それは…… (義手……そうか、それでか。ちいっ……) ムーバを迎え撃つ追っ手のカタールが、僅かに動きの鈍いと思われたムーバの左半身を捉え、左腕を裂いた。だがしかし、それはムーバにとっては痛くもなく、そして動かぬ義手であり、逆にその一瞬の間隙をムーバの長剣が突いた。辛うじて刺殺は免れたものの、追っての頭部にいささかながら傷を負わせることになった。同時に、それが身につけていたと思われるガラス状の品物が割れる……。 (浅い……仕留めそこなったか) まさか違和感の正体が義手であったとは、今にして初めてわかる真実であった。片手で彼の刃をここまで凌いでみせた……もし両手ともが健在であったなら? その仮定に衝撃が走る。 (何者だ、そんなバケモノ聞いたこと……まさか) たったひとつ、彼の脳裏に浮かんだその名は、伝説と等しい英雄のものだった。 (生きていたとしたら、相当な高齢のはずだが、それでも……) 一方、それで勝利を掴むはずだったムーバの方は逆にその身に震える興奮に慄いていた。 (あれをしのぐか……運がいい、いや実力か) 暗闇であった。人をして恐怖の対象であり、漆黒の闇はどこまでも深く、狂刃を重ねるたびにそれはより濃く深く沈む。 先ほどの攻防で多少とはいえ手傷を負ったはず、その相手が、いやさらに鋭さをました攻撃を繰り出してくる。その姿がまるで目に見えているかのように……、それはお互いがそうであったであろう。 死を誘う鋭い視線、その眼光は真紅に染まって見えた。いや、正確には暗闇の中でそれが見えるわけがない。だが、ムーバにはそう感じられたのだ。 (レッドアイ……そんな字(あざな)をもつ仕事人の噂を聞かなくなって、いったいどれほどになるかな) 確かなことは分かろうはずがない。しかし今目の前で自分の行く手を阻むのは、「回廊の守護者」の名に相応しく、ここまでムーバの侵攻を防いでいる。 (だが、これ以上時間をとられるわけにはいかぬ) 長い、いつ果てるとも知れぬ攻防の末、再びムーバの身体が刃に晒された。年齢ゆえか、動きの鈍くなったその隙は、もはや致命的な結果を生むに十分であったのだ。 (なっ……) しかし、無常にもそれは空を切る。今にもムーバの心臓に届くかと思われた一瞬、暗闇の中にムーバの身体が掻き消えた。 穏行(ハイディング)ではない、むしろ闇の中ではこれまで知っているどんな穏行も、実は無意味なものであったはずなのだ。 (あの技は……) * * * (紙一重じゃったな) 不可思議な術によって死闘を制し、回廊へ道を開いたムーバはもはや一刻の猶予もないことを実感していた。この回廊を通ってミサキが囚われているであろうアリーナにたどり着き、首尾よく彼女を助け出したとしても、同じ回廊を通って脱出を図ることは、ミサキを連れたままでは不可能であることは明らかだった。 逆に王城の奥深くにまで侵入し、そこからの脱出経路を見つけるしか…… いずれにせよ、大騒ぎになることは間違いない。 (すまぬな、アガタ……穏便に、というわけにはいかなくなりそうじゃ) しかし、それでもなお引き返すことはできない。 (むっ?) 気配……それも彼が進むその方向から、待ち受ける何者かの気配を感じて長剣を握るこぶしに力をこめた。 (穏行を使っておらぬ……、ならば) 無論、つい先ほどまで彼自身と死闘を演じたアサシンと、それと肩を並べるほどの実力者がそうそう同じ場所にいるとは思えなかった。まして穏行を使わぬとあればアサシンですらない。 闇に生きるものでなければ、彼ら仕事人の行く手を阻むことなぞ、できはしない。 ムーバは、前方に迫るその気配が、漆黒の闇の中であっても、それがまだ少女といっていい年頃の娘のものであることを察知した。しかし動揺はない。すでに彼は暗殺者としての非情さを取り戻しており、阻むものは闇に沈めるだけ、であった。 6 --ガキッーン! (な、なんじゃと) たとえ年端も行かぬ少女であっても、目的のためには容赦を捨てた彼の剣はしかし、彼女を包む不可思議な薄桃色の光によって弾かれた。 (セイフティウォール……、まさか) 「どなたかは存じませんが……。申し訳ございません、この回廊は誰もお通しするわけにはいかないのです」 にこっと無邪気な笑みを返し、本当に申し訳なく思っているかのようであったが、実際にその後の彼女の所作は、その表情とは裏腹に徹底したものだった。 --ボッ、ゴゴーッ! 不意に彼女の周囲一面に無数の光の渦が発生し、回廊の奥への道を完全に遮断した。 (ファイヤーピラーか) 触れる者を容赦なく焼き尽くす。魔術によって出現した凶悪な布陣がこうも隙間なく設置されては、いかなムーバであろうとも突破することは不可能だった。 (やられたわい……。これがあったからワシの突破を許したか) もとより、よほどの者でないかぎり、ここまで踏み入ることすら適わなかったであろう。なにせ、相手はあの回廊の守護者なのだ。本気で止める気であったのなら、少なくとも無傷では済むまい。絶対に破れぬ第二の布陣が敷いてあるからこそ、ただ1度とはいえその狂刃を抜けられることを許した。 そして今の状況は…… --ヒタ、ヒタ…… セイフティウォールと、燐光を放つファイヤーピラーの明かりがいまだ届かぬ闇との境目に、つい先ほどまで刃を交し合った相手が近づいているのを感じ、久しく味わえなかった感覚に我ながら驚いていた。 (このワシを追い詰めるとは、な。噂以上、いや……所詮闇の世界にそんなものは無意味なこと。それにしても……) ムーバは今一度、正面の少女の方に視線を戻した。 彼は頭の中に、つい先日に自分たちのギルドに迎え入れることとなった娘の姿を思い描いていた。今とまったく同じようにセイフティウォールの光の中で佇んでいたウィザードの娘。自分が救出に向かうことになったその本人だ。 (……似ている) 顔立ちが、というわけではなかった。あどけなさの残る目前の少女の雰囲気は、彼の知るもうひとりのもつ荘厳さとは違ったものだ。しかしその目の輝きは……、なにものにも屈しない強い意志を湛えた瞳には通じるものがあった。 それほど日を置かずして、同じような「変化」に二度も遭遇しようとは……。しかも今度は自分が敗れる側だ。 あんな娘がまだ居たとは……いや二人だけではないのかも知れぬ。何かが、そうこの時代、魔物との長きに渡る闘いの歴史が変わるような大きな変化が起こっているのかもしれなかった。 「フッ、老いるわけじゃな」 はからずも、声に出してムーバは言った。目の前のウィザードの少女と、そして背中に突き刺さる殺気の主にあえて聞こえるように。 「ひとつ、尋ねてもよいかのぉ、娘よ」 「はい、何でしょう?」 首をかしげ、素直そうな顔が彼の気負いを剥ぎ取るかのようだった。 (かなわぬのぉ) 「ここまでしてお主らの護ろうとしているのはいったい何じゃ? 王家の威信か? それとも国家の安寧か?」 実際に王城を護る回廊の守護者相手に対するには極めて不遜なことに、彼にしては、そのどちらでもないことを、なかば確信していた。いや、だからこそ、その中に彼が回廊の秘密を破るという危険を犯してまで成し遂げようとしたことの、それを引き換えにできるだけの理由があるのだと信じていた。 それほどまでに、目の前の娘と、そしておそらくは背後の人物の覚悟が、彼の知る娘と似た何かを思わせたのだ。これが偶然であるはずがない。 「え……と」 少女は多少言いよどみ、どうやら背後の守護者に助けを求めるような視線を見せた。しかし、言葉も、そして暗闇の奥から届くはずのないなにがしの返答もあったわけではないが、ふとその表情が和らぎ、 「あたしたちが護っているの……それは『絆』です。ただひとつ、この時代に自分が『在』ったことを想う。それを確かめるための唯一の」 「ほう……」 確信に満ちたその返答は極めて抽象的で、その意味を推し量ることは難しかった。何より、その言葉の裏に隠された真実を知る権利は自分にはない、と思われたからだ。もはや時代は、彼の生きた「かつて」ではなくなっているのだろう。 「よかろう。死ぬ前によい冥土の土産ができたものよ、礼を言うぞ、若いの……」 「えっ、ちょっと」 --ゆら~ 少女の驚き、それは当然だったであろう。不意に目の前の侵入者の姿が揺らぎ、あたかも空気の中に融け入るかのように消えてしまったのだ。 「嘘っ!?」 もしかして取り逃がしてしまったのだろうか、そんな、まさか目の前で? これほどまでに完璧な布陣を敷いてまで、なおそれを抜けることのできる者がいるとは信じられなかった。 「逃げられた、な」 「そんな……お兄様?」 侵入者の脅威が去ったことが確認できたのだろう。これまで闇に姿を隠していた者が姿を現した。漆黒の闇の中であればこそ目立たない、それは燃えるような真紅の髪をした1人のアサシンだった。先ほどの死闘で負った傷のために、片手で目の辺りを押さえている。その指の間から滴る血が、妹のウィザードの表情を一変させた。 「お兄様、怪我を? 大変!!」 「ああ、大丈夫だ。それほど深くはない。手ごわい相手だった、これまで遭った中でも……」 「ほっ、よかった。でもまさかお兄様が抜かれるなんて、あたしの方こそびっくりしたですよ。気をつけてくださいね。 それにしても、最後のあれはいったい何だったんです? あんな技、聞いたこともありません」 「そうだな、まあとりあえず今回の目的は果たした。例の件は?」 「問題ありません。あの女(ひと)の腕前はご存知でしょう?」 「そうか、それならいい」 ひとしきり、死闘のあと、やさしい妹の手当てを受けながら、回廊の守護者たる彼はしばし思いを巡らせていた。 (あれが……『陽炎』か……) 7 --ギィ…… ノックはなかった。誰の許しを得たわけでもなく、部屋の扉が開き、疲弊した様子の老騎士が姿を現した。 「え?」 「ムーバ! ひどい格好じゃないか。それに……おいおい、左腕はどうした」 「それよりもミサキは? 助け出しにいってくれたんじゃなかったのか?」 「バカヤロ! なにが『それより』だ。この姿を見てなんとも思わないかいっ!」 「す、すまねえ」 目前に繰り広げられる光景は、逆にそれを見守るリリには訳の分からぬものだった。 (まさか、この人が一人で助けに行ったとかいう人物? 嘘っ、本当にあそこに侵入して生きて帰ってこれるはずが……) 「いや、謝るのはワシの方じゃ。すまぬ、しくじったわい」 「それは後で話を聞くさ。よく無事で帰ってきてくれたよ」 「え、と。あの……」 何か話しかけようとして、リリはいつもの合図に気づいた。 (リーン……) (お姉さま、成功したんですね) この場をどう収拾したものかと思案していたところに、無事任務が成功したことにほっと胸をなでおろした。 「あの……」(!) ミサキが無事戻ってくることを報告しようとして、彼女は自分を見据える視線に気づいた。 「そういうことか……どうやら、ワシの勇み足じゃったようじゃな、手間をかけた」 (気づかれた! まさか、この喧騒の中で……?) 「いえ、お仕事ですから。ご心配をおかけいたしました」 --ヒュン リリがそう恐縮(表面上はだが)した瞬間であった。彼女の傍らに、突然姿を現した者がいた。両手にはミサキを抱えており、むさ苦しい男ばかりの部屋の喧騒にやや眉をしかめた。 (あれ? この人、たしか昼間に丘で会った……) リリは、彼女の相棒が助け出した娘が見覚えのある顔だったので驚き、またぴくりとも動かないことに急に心配になった。 「ご苦労様です。大丈夫ですか、この人がミサキさん、ですよね?」 「眠っているだけだ。ベッドは?」 「あ、ああ、こっちだ。俺が連れて行くよ」 ソーマが慌てて駆け寄り、ミサキを抱えて隣の部屋に連れていった。 アガタはそれを見送って、 「いったい誰の依頼だったのかが気になるが、どうせ教えちゃくれないんだろ?」 「困らせないでください(汗)」 「いいよ、もう。ミサキを取り戻してくれて助かった。礼を言うよ」 「とんでもありません。これは『仕事』ですから。ではあたしたちは失礼させていただきます」 --シューッ リリは、聖なる秘術を用いて床にポータルを開いた。名も名乗らぬ女アサシンに続いて、自分もまたそこにはいり、部屋から姿を消した。 「かしらぁ、いったい何だったんでしょうねぇ、あれは」 「さあね、詮索はなしだ。それがあたいらの慣わしだからね」 * * * --シュン! 「リリ、なんだここは?」 「いいじゃないですか、たまには……」 仕事を終えた彼女たちが、ポータルによって降り立った場所は、リリがお気に入りとして立ち寄る、例の丘の上であった。 「そんな気分なんですよ」 そういって微笑む若いプリーストのわがままに、仕方ないという風に了承のため息をつくと、これまで顔を隠していた布帯を外した。 「しかし、タイミングが悪い」 「えっ、どうしたんですか? あっ!」 座り心地のよさそうな場所を値踏みしていたリリは、連れの言葉に振り返り、その後方にある木の幹に背中を預けてこちらを見ている人物に気づいた。 「珍しいじゃないのさ、あんたがここに来るなんて」 「たまにはそんな日もあるさ。それより、ご苦労様だったね」 (レッドアイ……) 無論、リリとて顔なじみではある。彼女や、そして連れのアサシンであるハルカともども、この丘の上の思い出を共有するかつての仲間の一人だったのだから。 「今回の依頼人だ」 「え、ええええっ! いったい、どういうわけですか? この人が依頼人なら、何もあたしたちに頼まなくても」 「まあ、裏には裏の、そして表の社会には表の事情ってもんがあるんだとよ。まったく、私ならやってられないね、そんなややこしい仕事。これだから王城がらみってやつは嫌なんだよ」 「はあ……」 「面倒をかけたね、リリちゃん、それにハルカさんも。いい仕事だった」 「まったくさあ、とんだ茶番だと思っていたら、危うく死に掛けたのは私の方さ、謝礼は弾んでもらうよ、もちろん、口止め料込みで」 「ハルカさんたら」 何も昔なじみに向かってそんな口のききかたをしなくていいのに。そう、今回の仕事はどうやら「何もなかったこと」で処理しなければならない類のものだったようだ。それに関しては王城の、それもごく中枢に関わる何者かの意志が働いていることは間違いない。 口止め料……、結果的に彼女たちは、その秘されるべき事柄に首を突っ込んでしまったことになる。 「ああ、言い値でかまわん」 「そうかいっ」 ハルカの目が意地悪く光った。また、とんでもない額をふっかけるんじゃないだろうか、とリリはヒヤヒヤしたが、 「そのサングラス、私にくれ」 「へっ?」 何を言い出すのかと思えば、リリはきょとんとして聞きなおし、そしてその意味について思いを寄せてみた。そういえば、自分もまだこのアサシンの素顔を見たことがなかった。彼女がこの丘を訪れるようになったかつて、その頃には彼はこのサングラスがトレードマークのようになっていたのだ。 (でも気になる) 裏の世界では噂になっていた。「レッドアイ」の字(あざな)どおり、その素顔の瞳は噂どおりの色をしているのかどうか。 もちろん、同じ時期に修行をしていたというから、彼女よりも付き合いの長いハルカは当然その真相を知っているはずなのだが。 「こんなものでいいなら……安物だぞ?」 「ええっ! そんなにあっさり……」 まるで考えるまでもなく、サングラスに手をかけようとしたアサシンを、ハルカは慌てて止めた。 「いいよ、もう、いいったら! 早くその手を離しな。 まったく、あんたたち一族ときたら、本当に訳わかんないよ。報酬は規定の3倍だ。ちゃんと振り込んでおいてくれよ」 「承知した。ありがとう、ハルカさん」 「ふん……」 「それじゃ、また機会があったら頼むよ」 「そんな機会がもうないことを願っておくよ」 (くすっ) 微かに、笑っていたような、そんな笑みを浮かべた赤毛のアサシンの姿が虚空にゆらぎ、そして融けるように消えていった。 「なっ!」 「え、何? いつもの穏行じゃない」 「『陽炎』……やっぱりな。くそぉ、やられた。ほんとに悔しいったら」 「なんです、突然悔しがったりして?」 「遣り合ったんだよ、あいつ。あの『陽炎のムーバ』と。間違いないさね」 「誰なんです、ムーバって? ……あっ」 リリは、守護天使の宿で見かけた老騎士の名が「ムーバ」であったことに思い至った。 「まあ、あの伝説と刃を交えて生き残っているんだ。よかったよ、ほんと」 「ハルカさん……」 その後、ハルカがサングラスを要求したその理由を話してくれた。闇の世界に生きる者は、身内以外の者にその素顔を晒してはならない。その本当の素性も何も、全ては闇に沈み、決して浮かび上がってきてはならないものなのだ。 もっとも、今ではそれは形骸化した掟のひとつで、実際にそれが意味をもつことはもうなくなってしまっているのだが。 しかし、それゆえハルカは諭すつもりで要求したのだ。今のような危険な仕事から足を洗ったらどうか、と。 なんだかんだといっても、心配だったのだろう。 たとえ今は袂を分かっていたとしても、同じ思い出を共有するかつての仲間なのだから。 エピローグ 柔らかい風、ごくたまにではあるが、あまりの気持ちよさに不覚にもこの丘の上で眠り込んでしまうことがあった。 特に厳しい仕事の後など、まるでそれまでのことが夢の中の出来事であったかのように淡くゆらぎ、目を覚ますといつもの人々がいて、可笑しそうに笑っていて…… 「う、うう~ん」 その日も、リリははからずも何度目かの目覚めを丘の上で迎えた。 「やっぱり夢……じゃないわよね」 リリは髪をはらい、今一度やさしい風を頬に受けた。そのとき、 「えいっ! やーっ!」 --カン、カカンッ! 「あれ?」 耳に飛び込んできた掛け声と、それに呼応した金属音に、リリは振り向いてその方向に顔を向けた。 「なんだ、起きたのか。姉ちゃん?」 ポリン相手にスチレットを振るっていた一人のスーパーノービスの女の子が、自分に気づいたようで、駆け寄ってきた。 「気持ち良さそうに寝てたのだ。あたしの声がおっきくて邪魔だったか?」 「いいのよ、気にしないで。それより、あなたは?」 「(えっへん)紫 焔なのだ」 「そう…焔ちゃんって言うのね。ここで何をしていたの?」 変な気合で胸を張った少女は、名前を名乗ると続く質問にも答えた。 「修行なのだ」 「修行って……ひとりで?」 「ひとりじゃないぞ、ときどきは兄ちゃんや姉ちゃんたちが見てくれるのだ。今はみんな忙しくてあっちこっちに出かけちゃってるけど、いつかあたしもみんなみたいに大活躍するのだっ! 一人で修行するなら、ここでしろって兄ちゃんに言われて来たのだ。ここは広いし、昼寝もできるし、とってもいいところなのだ」 「そうなんだ。がんばってね」 「ま~かせるのだっ!」 屈託のない、そしてどこか彼女のよく知る雰囲気を持つ少女だった。まるで昨日、この同じ場所で出会ったウィザードの娘のように自然に、この場所になじんでいた。 「ねえ焔ちゃん」 「ん、何なのだ?」 「あなたの兄弟って……」 丘に吹く風は止むことはなく、そして思い出もまた閉じることはない……。 * * * 数年前、闇の世界で噂になりつつあった「レッドアイ」の名とともに、一人の赤毛のアサシンが表の世界はもちろん、裏の世界からも姿を消した。 より深い闇の奥底に沈み、果ては闇と同化したのではないかと囁かれることも、そんな噂も今ではもはや聞かれることはなかった。 了 「あとがき」 意外というか、前作の戦乙女が比較的短かっただけに、けっこうな量になってしまいました。場所をプロンティアに移し、ミサキの失踪を巡って様々な意志が交錯する。けっこうシリアスな展開になったのではないかと思います。 何よりこの中で登場した回廊の守護者ことレッドアイ。その活躍の場面を以前から楽しみにしていた、という某AX持ちの人。こんなところでどうでしょうか? それだけじゃなく、なぜか他にもいっぱいアサシンが登場してますよ。やっぱりこうやって書いてみると、カッコいい職ですものね。 しかし、どういうわけか、花壇上(物語中では「丘」と表現)についてのお話も交えてしまうことになってしまいまいた。そのためか、多くの場面でプリーストのリリが語り手みたいな存在として表現されてしまっています。 ふむ、別に不適当なことを言わせてはいないと思うし、まあいいかなぁ。 「裏話」 「レッドアイ兄さんの活躍が読みたい」 その一言でこの物語のプロットが決まりました。そして彼に「回廊の守護者」という役どころを設定した段階で、「じゃ、実際にミサキを助けるのは誰になるんだ?」ということで登場することになったのが異色コンビ「ハルカ」と「リリ」です。 実は実際にモデルの存在するこの二人は、前々から登場させたかった方々であり、この美咲の物語の中に限らず、本来なら二人だけでひとつのシリーズを形成できてしまうぐらい、個性的で使いやすい設定の上にあります。 もっとも、他人の持ちキャラを主役にして勝手にシリーズを作ってしまうのははばかられるので、そんなことは妄想の世界だけのお話、ということにしておきましょう。 ついでに、ゲームの世界ならともかく、小説にしようとすると一番設定が難しいのはこのアサシンやローグ、シーフなどといった職です。だって、そのままだと到底公に認知できる職じゃないでしょう。 具体的な場面を想定してみてください。街中をアサシン(暗殺者)が歩き回っているんですよ? それも堂々と。そんな登場のさせ方をしてリアリティのある話になるはずもありません。 しかし、やはりアサシンはアサシンであって暗殺者です。それを普通に登場させるだけの状況設定を考えておかなければならないでしょう。 それは「アサシン」という言葉と職の意味を暗にではあっても補填しておく必要があります。 「アサシン」を職ではなくむしろ職能から定義しなおすと無理はなく、いや無理はあっても無理やりに納得させられるかもしれません。職能、つまり「暗殺の技術を身につけた者」です。 それを生かす職の代替として「仕事人」つまり「(フリー)エージェント」という考え方をしてみました。 これは、アサシンに限らず、どんな職であっても同じ考え方で世界観を構築していけるものです。 実際、騎士が1人ひとり自由に動き回って、勝手にダンジョンに入って狩りをして、と。そんな世界はありません。騎士であれば、自分が遣える主人の下でその命令に忠実に従うのが当たり前で。プロンティアや各都市の中から早々自由に外に出ていいはずがないのです。 この物語、というか私の描くロールプレイングの世界では、「冒険者」などという非常に安直で、それによりとたんに現実味を損なう恐れのある表現は控えたいと考えています。 人がその世界で何かを果たすときには、必ずその理由が必要で、その理由もまた世界観の中でしっかりと定義されうるものでなければなりません。 何の理由もなく、時計塔で狩をして、そして意味のあるのかどうか分からないようなドロップの数々。それをそのまま描いたりしたら、所詮低俗な物語にしかならないような気がするからです。 |
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