サイコ・ガード ヨーコ(CASE 2)
プロローグ
連邦超能力開発研究所・対ESP特別保護官、「サイコ・ガード」って呼ばれているんだけど、あたしことヨーコ・グリーン(一九)はその臨時職員だ。まあ、学生アルバイトよね。
仕事の内容はっていうと、あたしのように後天的に発現したエスパーや先天的なエスパーが精神的な混乱に落ちいっているのを保護して、社会的な不適応を来たさないようにする。文字通り「保護官」だ。
そりゃ、あたしだって他人事じゃないから、それなりに意義のあることだとは思う。でも嫌々マイスレン国籍の、しかも一介の市民にこんな仕事を押しつけるなんて、とんでもない連中だと思わない? 自慢じゃないけど、あたしはそんなに大した能力は持ってないのよね。連邦って、結構いい加減な組織なのかも知れないわ。
とりあえず「センター」の人手不足は本当らしいから、そんなあたしにも任務が与えられるようになった。今回の話はその記念すべき初仕事なわけだ。
ケース 2 「シア」
1
「初仕事だよ、ヨーコ君」
「はあ
……」
あまり気乗りしないなあ、という感じであたしは答えた。
「不服そうだね?」
「わかります?」
嫌味っぽくあたしは答えたが、ミンブル所長の方は意に介した風ではなかった。
「今回は初めてということもあって、クレイトン女史とペアを組んでもらうことになるが
……」
クレイトン?
あたしは貧相な記憶力を駆使してその名前を思い浮かべた。『訓練』中に、二、三度教官として講義を受けたことがあったはずだ。
「マチルダ・クレイトン教官ですか?」
「そうだ。『サイコ・ガード』の創設に当たっては『センター』内でも大幅な人事変動があったが、彼女も初めは渋っていたものだよ」
(そりゃそうよ
……)
あたしは局長には聞こえないように口の中で呟いた。
マチルダ・クレイトンといえば三〇歳になるならず。尖んがった眼鏡と後ろに束ねた金髪といった容貌は、うるさい女子高の女教師といったところだった。エスパーだったとは初耳だが、どう見てもデスクワーク専門で、各地に派遣されて活動する「サイコ・ガード」のような派手な仕事に向いているようには思えない。
「クレイトン女史は配属して既に三つのケースを担当している。編成して間もない『サイコ・ガード』ではベテラン組に入るからね。ヨーコ君にも参考になるだろう」
「それは、どうも」
あたしはそれだけ答えた。つまりはクレイトン女史にくっついて見てるだけでいいわけね。ミンブル所長には悪いが、そうさせてもらおう。
「非保護者の資料はカードにしてクレイトン女史に渡してある。早速現地に向かうように。二番ゲートで女史が待っているはずだ」
「
……わかりました」
ややふてくされたような顔をして--この程度の牽制はしておかないと次々に仕事を回されてはかなわない--あたしは所長室を後にした。
「ク、クレイトン
……さん?」
あたしは自分の目を疑った。
「お久し振りね、ミス・ヨーコ」
上品な笑みとともに、その台詞は投げかけられた。思わず返事に窮してしまう。
再会したマチルダ・クレイトンの容貌は、記憶にある彼女のイメージのどれとも違っていた。
「へ、あ
……お久し振りです。その節はどうもお世話になりまして」
何を言っているんだ、あたしは。ほら、クレイトン女史がキョトンとした目をしているではないか。
とはいえ、あたしが動転したとしてもそれは仕方のないことだった。その時のクレイトン女史はといえば、後ろに束ねられていたはずの金髪は半分ほどにカットされ、全体にかるくウェーブしている。
化粧っ気の全然なかった彼女の口元には鮮やかなルージュが引かれていた。もちろん、トレードマークになっていた眼鏡は外してあって、やや濃過ぎるほどの青い瞳が露わになると同時に、妖艶な光さえも浮かべているように見えた。
「あなたの噂は聞いているわ。優秀な若手が加わったと所長が喜んでいたもの」
「優秀な若手」ですって?
いったい何を勘違いしているのだろう。ロンド・ウォームとの一件以来、この『センター』では、あたしはちょっとした有名人だった。
いつ暴走するかわからない『爆弾娘』。どう好意的に解釈しても、愛称と呼ぶにはあまりにかけ離れた、それはあたしに対する周囲の見解だった。
クレイトン女史が耳にした噂っていうのも、大方そんな内容に違いない。
「そ、そんなことは
……。なにせ初仕事なもんで、よろしくお願いします」
動揺がすぐに態度に現れる。我ながら情けないったらない。こんな調子でサイコ・ガードなんてやっていけるのだろうか?
「すぐに慣れるわ。頼りにしているわよ」
それは勝手だが、その期待に応えるわけにはいかないのよね。
「それじゃ、出発しましょう。サイコ・パックの用意は出来てて?」
「はい」
最新型のESP中和フィールド・ジェネレーターをはじめ、緊急用の医療機材一式ほかサバイバル用品など、必要(かも知れない)と思われるすべての機器を詰め込んであるというサイコ・パックを背負うと、あたしはマチルダ・クレイトンに続いてグライダーに乗り込んでいった。
グライダーは「センター」専用だったが、やはりオート・パイロットで、クレイトン女史が挿入したカードの内容に従って飛行を続けた。ちらっとモニターを盗み見したところでは、場所はセント・ガーランド。「シティ」からは海を隔てた北西大陸の東部に位置する。マイスレン随一というガーランド教会の所在することで有名な都市だ。そう大した距離ではないが、このグライダーでも二時間はかかろう。
その間に、あたしは今回の(あたしにとっては初めての)ケースのデータに目を通すことにした。
非保護者はシア・マンドルという名の女の子だ。まだ七つになったばかりではないか、「セント・ミネリー学園初等部」といえば、あたしだって名前ぐらいは知っている私立の名門だ。たいへんなお嬢様なんだろうなあ
……。
あたしは簡易ディスプレイに表示された写真を見て呟いた。無邪気に笑っている、リボンで左右に結わえた金髪と澄んだ碧眼の、中々の美少女だった。
(わあ、かわいい
……)
そんなあたしの心情を見抜いたのかクレイトン女史は冷ややかに言った。
「あまり浮かれない方がいいわよ。確かにお嬢さまだけど、その分抑圧されていたんでしょうね、反動が物凄いようだわ」
任務に私情は禁物、ということか。ちらっとESP関係のデータに目を通してみる。
「き、指数五七五
……。こんな子供がなんでそんな凄まじい能力があるのよ!」
「瞬間的なものよ。ちゃんとコントロール出来るようになれば、二〇パーセントは落ちるんじゃないかしら」
それにしたって大したものだ。あたしなんかたった五〇あるかないか、連邦軍だって即戦力になれるわよ。
「誰か応援を呼んだ方がいいんじゃ
……」
いきおい、弱気になってあたしは言った。しかし、マチルダ・クレイトンは小さく首を横に振って、
「力の強いエスパーがそれだけ優秀な『サイコ・ガード』になれるわけじゃないわ。むしろ大抵は軍なんかで戦闘の訓練を受けているもんだから、逆効果の場合が多いわね」
そうかも知れないけど、なんであたしの初仕事がこんな厄介なケースになるのよ!
2
任務先、つまりシア・マンドルの住居は予想した通り大した豪邸だった。品の良い正門には凝った彫像が施され、マンドル家の紋章なのであろう、鷲とライオンを形作っていた。あたしの身長の三倍はありそうな巨大なそれは一見、来る者に自然と卑屈な思いを起させる。
「お待ちしておりました。どうぞ、こちらに」
こちらの身分を明すまでもない。雰囲気で察したのであろうか、人の良さそうな、それでいて隙のない初老の男があたし達を屋敷の中に招き入れてくれた。お屋敷の執事というやつだろうか、本来なら気後れしてしまいそうだったが、来訪者にそんな気分を感じさせない、穏やかな対応だった。
〝気が付いていて、ヨーコ?〟
接触テレパスだ。クレイトン女史が何事か注意を促している。当然のことながら、あたしにも何のことかはわかっていた。
〝中和フィールドですね?〟
〝そう、この建物全体に強力なフィールドがかけられているわ。これじゃこのリングも意味はないわね〟
〝それじゃシアって娘は屋敷内を自由に動き回っているわけかしら〟
さすがに金持ちのやることは違う。これだけの広範囲のESP中和フィールドを維持するだけでも大変な設備が必要なはずだった。「センター」でも区画ごとにフィールドが張られていたけど、そのそれぞれにひと部屋まるごとを占めるようなジェネレーターが設置されていたものだ。個人でそれだけのものが用意出来るとは。
〝そうとばかりは言えないわ。指数五七五ものESPをこんなに拡散させたフィールドで抑え切れるとは思えないけど〟
〝どういう意味ですか?〟
〝さあ、本人に合って見ればわかるんじゃないかしら〟
「奥様がお会いになりたいそうです」
長い廊下をしばらく歩いて、あたしたちは応接室であろうか、小じんまりとした部屋に案内された。さほど豪奢という印象は受けないが、品の良いテーブルをはさんで居心地の良さそうなソファーが配置してある。そのひとつには、
「お待ちしておりました。主人に代って私が貴女方のお世話をさせていただきます。シモーヌ・マンドルです」
被保護者--シア・マンドルの母親であろう。娘が七歳といっていたが、このマンドル夫人もかなり若く、三〇にはなっていないに違いない。娘と同じ綺麗な金髪をしているが、相当な美人だ。
「はじめまして、『サイコ・ガード』より派遣されて来ました。マチルダ・クレイトンです」
「同じく、ヨーコ・グリーンです」
あたしたちは勧められるままソファーに座り、自己紹介を済ませた。
最初に口を開いたのは妖艶な夫人の方だった。
「さっそくですが、『サイコ・ガード』は未成熟のESPを持つ者に対して発達的な保護を行なうと聞いています。
娘は、シアは今後どういった措置を受けることになるのでしょうか?」
あたしたち、あたしとクレイトン女史は顔を見合わせた。娘を心配する母親としては当然の質問だった。ただ、やや事務的な口調だったのがあたしのカンに障った。本当に心配しているのだろうか?
「ご心配するのはもっともです。しかし、連邦の方針として、たとえエスパーであっても、一般の市民と同様の生活を保障するというのがこの『サイコ・ガード』の理念となっています。余程のことがない限り、それは心配には及びません」
クレイトン女史が淡々と答えた。
「余程のことと言いますと?」
「それは今回のケース次第です。いかに措置を講じようとも、一般の生活をするのが不可能なほど危険な能力を有していた場合などです。その場合には一定の管理下に置かれる必要が出てくるでしょう」
曖昧な表現だけど、あたしにはその内容がよくわかっていた。『力』は統制されなければならない。あたし自身もまた、サイコ・バリア(サイコ・ボム)を制御出来なかったらそうなっていたに違いない。一般の社会とは隔離された特別の環境で一生を送ることになる。
「よくわかりました。娘をよろしくお願いします」
「出来るだけのことはします。では被保護者に会わせていただきたいのですが」
「承知しております。レイノルズ、この方たちをシアの部屋へ案内して頂戴」
「かしこまりました、奥様」
傍らに控えていた執事--レイノルズはそう答えると、あたしたちを促した。
「お嬢様はただいま寝室におられます。さ、こちらに」
その部屋に足を踏み入れた時、中の調度がどうだとか、被保護者がどこにいるかなどということを考える以前に、あたしは--同じくクレイトン女史もだろうが--強烈なショックに襲われた。
「きゃっ」
「ぐ、ぐぐ
……」
あたしはうずくまるようにして頭を抱え、必死で吐き気をこらえたが、クレイトン女史はといえば口元に腕をやりながらもしっかりと正面を正視していた。ふと見ると執事のレイノルズは何事もなかったように、それでいて訳知り顔でこの状況を静観していた。
クレイトン女史が振り返った。
「ESP中和フィールドね?」
レイノルズはこの時初めて悲痛な表情--といっても目を細めただけで、あたしが勝手にそう思っただけだが--を見せた。
「この部屋を中心に四ヵ所にフィールド・ジェネレーターを配置しております。常時稼働させ、それからは食事と排泄以外はこうしてお眠りになっておられます」
「四ヵ所って、干渉フィールドで抑え付けているっていうの?」
「その通りです」
短く、レイノルズは答えた。
後で聞いたことだが、普通は一基のフィールド・ジェネレーターだけで十分に効果はある。あたしの時だって部屋に小型のがひとつだけで外部との干渉は防いでくれた。
しかし、複数のジェネレーターを同時に稼働させれば通常の、体--正確には脳から発散されるESP波が指向性を持ったエネルギーに変換される前に中和・分解するという機能だけでなく、もっと積極的になるという。
積極的ってのがよくわからなかったけど、エスパーにとっては力を発現させようとするその意識自体を無理やり拡散させてしまい、その結果本人の意識レベルを低下させることになるらしい。こうなればあたしたちの接触テレパスだって不可能になる。シアがずっと眠りっぱなしなのもこれで納得がいくというものだ。
「なんてひどいことを
……」
怒りを露わにして、クレイトン女史は口にした。
「もう少し詳しいデータが欲しいわ。とにかく、これじゃ私たちだって何も出来やしない。いったん出直しましょう」
さすがに、女史ですら限界を感じたようだ。
「承知いたしました」
慌てて部屋を出て、レイノルズが扉を閉めると、いくぶんは頭痛の方も治ってきた。よく見ると扉はESP波を遮断する特殊な素材を使ってある。ジェネレーターの出す中和フィールドも、逆の性格を持つとはいえ人工的に作った疑似ESP波だから効果があるのだろう。
「さあて、どうしたものかしらね」
被保護者のいる部屋に視線を向けたクレイトン女史は、不敵な笑みを浮かべると開き直ったように言い放った。この時あたしは、干渉フィールドの余韻が残っていて、足元もおぼつかないぐらいフラフラとして虚空を見つめていたのよね。
ひとまず、初日は何の成果もなしに当てがわれた部屋で夜を過ごした。
だってそうよ、あれじゃ被保護者--シアだけじゃなくあたしたちの能力も使えないじゃない。普通はリングをしたままだって接触テレパスで心理的プレッシャーを取り除くことが出来るはずなのだ。「サイコ・ガード」の仕事だってそれが基本だった。
「詳しいデータといっても、あの状態じゃ何の測定も出来ませんね」
翌日、朝食を済ませた後でサイコ・パックの装備を点検しながらあたしはクレイトン女史に話しかけた。ESPセンサーにスキャナー、諸々の測定機があったけど強制的に眠らされているシアの思考は相当に歪められているはずだ。正確な測定は望めまい。
「中和フィールドを停止するわ」
「ええっ! そんな無茶な! あれだけの装置でようやく抑えているようなESPを野放しにするんですか?」
軽く言ったクレイトン女史に向かって、あたしは真青になって言った。指数五七五のESPがどんなものか、よくイメージは出来なかったが、この屋敷ぐらいは簡単に吹き飛んでしまうのではないだろうか。
そんな危険な状態で、いったいどんなケアが出来るというのだろう?
「完全に中和フィールドを無くすわけじゃないわ。ひとつだけは作動させておいて、その間に接触テレパスで彼女の意識とコンタクトを取るのよ」
なるほど、でもそれってかなり危険なのではないだろうか。
「と、いうわけで頑張ってね、ヨーコ」
「
……え?」
キョトンとした表情を浮かべるあたしに、クレイトン女史は優しく--悪戯っぽくといった方がいい--微笑んだ。
「何を
……え、ええ! 何ですって!」
ようやくその意味がわかりかけたところで、あたしは大声を出してしまった。このあたしにシアの意識に入り込めっていうの? 冗談でしょう、初めてのケースで何であたしが、そこまでしなきゃなんないのよ!
「無理です! ぜーったい無理ですよ。やったことないんですから」
さらに大声を出して否定する。被保護者の意識に入り込んで直接に力の使い方や制御の仕方を教え込むというのは「サイコ・ガード」の仕事の内でも常套手段といえるものだった。
あたしだって経験こそなかったが、マニュアルでそれぐらいは知っている。しかし、直接に相方の意識を繋げちゃうわけだから、肉体的にはともかく、精神的には相当な熟練を必要とすることだった。
言い換えれば、危険だってこと。戻ってこれなくなる可能性だってある。被保護者の意識に捕まってしまってそのまま融合してしまえば当然、そうなるわけだ。
「仕方がないわ。私のテレパシーはそんなに強くないし、誰かが傍にいて機器のチェックや突発的な事故に備えなきゃならないもの」
突発的な事故って、もしそんなことが起ったりしたら意識の跳んでるあたしには致命的じゃないの。誰がいくつものケースを担当しているベテランだって? ふざけるんじゃないわよ、これじゃ詐欺だわ。
「代ります! 機器の操作ならあたしにだって
……」
……出来なかった。自慢じゃないが、完全なユーザー・フレンドリーなシステムで動くようなコンピューターぐらいしかあたしには扱えないのだ。それもスイッチひとつで全部起動してくれるような。
「うふふ
……だーめ」
憎ったらしく微笑んで--決してその目は笑ってない--クレイトン女史は否定したのだった。あーん、どうしよう。
3
「無茶ですな」
いったいどれほどの感情を込めているのか知れないが、四つのジェネレーターの内の三つを停止させると聞いた時の執事のレイノルズの反応は短く、極めてわかりやすいものだった。
「他に方法がありません。受け入れてもらえない場合は、私達『サイコ・ガード』にはこのケースを引き受けることは出来なくなります」
「ふむ、」
レイノルズは思案気に頷くと、
「仕方ありませんな、奥様に伺って参りましょう」
「そうして頂戴」
レイノルズは軽く礼をすると、マンドル夫人に相談するために部屋を出ていった。
しばらくして、
「奥様のご許可が出ました。ただし、停止までに三〇分ほどのご猶予をいただきたいそうです」
意外に早く、許可が出たもんだ。あたしとしては「とんでもない」という答えを期待していたのだが。そうすれば、こんな無茶なこと--あたしがシアの意識に潜り込むようなことをしなくて済んだのに。
しかし、許可が出たからには始めなければならない。その後三〇分の間には、屋敷中の住人が避難し、どこからやって来たのか知らないが数十もの戦車と兵士たちが屋敷を取り囲んだ。空には戦闘機らしきものが飛び交うという物々しさだ。
「何か、物凄いことになってきましたね」
あたしは戦々恐々というよりもむしろ唖然としてクレイトン女史に話しかけた。
「そ、そうね
……」
明らかに後悔の色が窺える。しかし、それであきらめるには物事が進み過ぎていたし、第一彼女のプライドが許さないであろう。あたしも覚悟を決めるしかないようだ。
「行きましょう」
「はあい」
心なしか、昨日に見た時よりもシアの部屋の扉が不気味に思える。
「いやだよう」という心の底からの訴えを顔いっぱいに表して、あたしは部屋の中に足を踏み入れた。
「う、」
予想通りに痛烈な干渉フィールドのプレッシャーを感じて、あたしはこめかみを押えた。
「急ぎましょう」
あと二、三分で一機だけを残してジェネレーターが運転を停止することになっている。クレイトン女史はあたしと同じように苦痛に顔を歪めながらもベッドに横たわるシアの周囲に機器をセットして回った。
脳波や心理パターンを写し出すサイコ・パネルや緊急時のための個人用バリア。強制的に相手を眠らせるパラライザーを手にしたクレイトン女史は「さあいいわよ」といった感じであたしを振り返った。
「どうすればいいか、わかっていて?」
頭でわかっているのと、実際にするのとでは大きな隔たりがあると思うんだけとなあ。とにかく、あたしは頭の痛みをこらえながらシアの枕もとに腰を下ろし、シアの左手を握った。
昨日は突然のプレッシャーでよく観察する余裕もなかったが、見れば見るほどかわいらしい少女だった。軟らかいドレスに包まれて、その表情には生気は感じられなかったが、苦悶にひきつっているというわけでもなく穏やかな寝顔をしている。
無理に干渉フィールドに抵抗して意識を傷付けるよりも、フィールドの波に身を委ねているようだ。自己逃避によって自らの安全をかろうじて確保しているのだろう。
こんな子供が、可哀相に
……と哀れにも思えるが、それだけに反動が怖かった。
「さあてと、お願いだからおとなしくしていてね」
ほどなく、干渉フィールドのプレッシャーが遠のいていくのが感じられた。シアの軟らかい手からは今まで抑え付けられていた意識が徐々に外に向かって拡がっているのがわかる。
あたしはまず接触テレパスと同じにESP波をシアの身体を通して送り込んだ。通常であればそれは相手の思考と干渉して跳ね返り、それをあたしは読み取って互いの意識を交換する。それが一般にいうところのテレパシーの原理だ。
相手がエスパーで、こちらに対しても同様のESP波を流してくれればそれだけ読み取るのも楽だし、内容もより鮮明に伝わるというものだ。
意図的にやってくるESP波を拡散させて、読まれないようにすることも出来るが、訓練も受けているはずのないシアにそんな真似が出来るはずもない。
あたしは比較的容易にシアの意識を捕まえた。後はその繋がりを強くして互いの意識を完全に同調させる。
--はずなのだが、それが結構難しい。
4
〝な、いったい何を考えているのよ、この娘は?〟
テレパシーで受け取る思考というのは完全に文字になって認識出来るものは極めて稀だった。大抵は映像のようなイメージでしかない。それも色や形といったものも判然としない、ごく稚拙なものに過ぎない。
ある程度の訓練を受けたエスパーでこそ正確な--ものによっては本物よりも--ヴィジョンを作り出せるというものだった。
しかし、その時のシアのイメージといったらまるで幼児のなぐり描きだった。無意味にグルグルと渦を巻く線や、ただ延々と続く形といったものだ。
既にあたしの意識は外部とは切り離されてシアのイメージの上を漂っていたわけだが、このままではラチがあかない。手始めにあたし自身がシアと同じイメージを作って彼女のそれと重ね合わした。意識を同調させ、共通の思考空間を形成する第一歩だ。
ほどなく、同調が成功したようだ。あたしは少しずつそのイメージに干渉し、もう少しわかり易いイメージに作り変えていった。
〝まずは見渡す限りの野原と〟
徐々にそのイメージが拡がり、一面を緑の原っぱが覆った。空は青空で太陽が輝いていたりする。
〝うーむ、これじゃあたしだって幼稚園のお絵描き程度だな〟
幼稚なイメージにあたし自身が幻滅しながらも、その上にあたし自身の姿をイメージして出現させた。
〝さあて、出てきなさい。ここにいるのはわかっているんだから〟
ここまではテレパシーの使えるエスパーであれば、ちょっと訓練すれば誰にだって出来ることだ。問題はちゃんと対話の出来る形でシアと対面させなければならない。無理にシアのイメージを作って表現したところで、それはあたしの作ったもうひとつのあたしでしかない。
反応はなかった。しかし、この空間のどこかにシア自身の思考の反映した部分が存在するはずだった。あたしが自分の姿に思考を反映させたように。
〝どうやって探したらいいんだろう?〟
ここから先はマニュアルにも載っていない。すべては臨機応変なのだ。最終的には被保護者と仲よくなること。相手もいないのにどうやって仲よくするっていうのよ。
とりあえず、あたしは意識を風の形にして四方に跳ばした。見渡すかぎりの野原といっても思考の作り出す世界だ。見方によれば無限の広さを持つともいえるが、その逆もまた正しい。一瞬の内に世界のすべてを視野の内に収めることが出来た。
〝見付けた!〟
かすかに、あたしの意識が及ばないエリア。抵抗するわけではないが、どうやって制御していいのかわからないのだろう。視覚的にはそれはただの空間の歪みに見えた。
怖れと不安--ただの感情の流れに過ぎないが、無理に解釈するとそうなるだろう。
〝お話がしたいんだけど〟
あたしはややお姉さんぶって話しかけた。たとえほんの少女だといっても、相手に媚を売って仲よくなるなんてあたしの性分ではない。やんちゃなガキはひっぱたいて言うことをきかせるに限る。
素直で可愛気のある子供なら、それなりの相手もしてあげるところなんだけどね。
本当はそんなことはあまり薦められないんだけど、互いの意識が同調しているこの世界で体裁を繕ったところで無駄なことはわかっている。なるようにしかならないのだ。
そうこうしている内にも、正対するシアの思考は少しずつ形をなしつつあった。といってもまだまだ未熟だったし、第一やり方を知らない。下手をすれば最初に見たようなグルグルの渦や線に戻りかけたりもする。これは少し手助けをしてやる必要があるな。
そう思ってあたしはシアの姿を思い浮かべてそれに投射しようとした。シアがそれを自分に再現すればいいのだ。しかし、それよりも早く、強烈な反応があって急にシアの思考が形を作った。
〝げげっ! 何よ、それ!〟
あたしは目を見張った。現れたイメージはあたし自身の姿だった。シアはあたしのイメージをそのまま鏡で写したように返したのだ。
〝いったい、どういうつもりなの?〟
あたしは呆れて言った。
〝そっちこそ、どういうつもり? どうしてあたしが二人もるの?〟
お、初めてちゃんとしたテレパシーを返したわね。しかし、いったいどういうわけだろう? シアのイメージには自分が反映されていない。あたしが作ったイメージをそのまま返しているだけだった。道理で簡単に意識の同調が出来たわけね。
〝出てってよ。あたしはひとりでたくさんだわ!〟
あたしは、イメージでいえば冷や汗を流しながら愛想笑いをしていた。
どうやらこの娘、外界との接触が極端に少なかったようね。
人間が獲得する表象--イメージというのは、そのほとんどが外界と接触したことによる経験から生まれる。自分の表象が稀薄なもんだから、現在接触している唯一の外界--あたしの表象を直接取り込んでいるに違いない。
〝あたしはあたしよ。そっちこそ自分の姿で話をしたらどうなの、シア?〟
〝シアって誰よ、あたしはヨーコ・グリーンよ〟
頭が痛くなってきた。ここまであたしのコピーを取るとは。あんたには自我ってもんはないの? まったく、とんだ茶番だった。
しかし、いったいどうやってこの状況を脱したらいいんだろう。あんまり深く同調し過ぎたようだ。シアはあたしの人格を纏いながら話をしている。これではあたしは自分に向かって話しかけているようなもんだった。
文字通りに、これでは話にならない。
もっと悲惨なことがある。これは意識の融合の一歩手前ではないのか? このままあたし自身の意識が取り込まれたら戻れなくなるじゃないの。
〝自分の立場がわかったようね。さっさと消えてしまいなさい、偽物さん〟
ムカッ! 何て憎ったらしい。同じ顔で言われた分だけなお一層頭にきた。シアはあたしの悪い部分だけコピーしたに違いないわ。
そうよ、そうに決まっている。もう容赦しないんだから。
〝言ったわね!〟
実際、それ以降は最悪のパターンを突き進んでしまった。
二人のあたしは--正確にはあたしとシアは取っ組み合いを始めた。上になったり下になったり、爪で引っかくは服は引きちぎるは--後でその様子を聞いたクレイトン女史は、目を真ん丸に見開いて呆れ顔を作ったものだった。
最悪というのは、実はあたしたちが演じたこの醜態のことでは、もちろんない。不用意に互いのイメージを接触させた結果、意識の融合はより早く進行するのだ。そういえば肌が触れあう度にバチバチと火花が散っていたような気がする。頭に血が上っていたあたしには、全然気にも止めなかったことだが。
〝大体、あんたがそんな格好をしているのがいけないのよ。馬鹿にしてるわ!〟
既にそれはあたしの思考なのかどうかも判然としない。二人の思考はほとんど同時に同じことを表出させていたからだ。もうほとんど融合してしまっていたのだろう。
そんな時だ。
〝あんたなんか大っ嫌い!〟
〝それはこっちの台詞よ! あんたみたいなエスパーがいるから、あたしはこんな馬鹿ばかしい仕事をやんなきゃなんないのよ! もう、エスパーなんていなくなりゃいいのよ!〟
え
……?
確かこのパターンは以前にもあったような気がする。ちょっと冷静に考えてみよう。
あたしとシアの思考はほどんど融合してしまっている。「あんた」という対象はもうイメージの上では存在しない。既に自分で自分を傷め付けている様相を呈していたのだ。それが相手に「大っ嫌い」だって? それは自分に向かって言ったのと同じではないか。と、なると
……
〝エスパーなんで大っ嫌い!〟
〝わっ!〟
嘘よ嘘、断じてそんなことはないったら! これはシアが言ったのよ。あたしじゃないったら!
といっても無駄なことはわかってる。いま現在は、シアとあたしは同一の思考を共有しているのだから。
気が付いた時にはもう遅かった。あーん
……
サイコ・ボムの発動であった。
あたし自身の自己嫌悪から暗示をかけられたそれは、シア自身の持つ能力で更に増幅されて辺り一面を吹き飛ばした。そしてその瞬間、あたしは確かに見た。あたしの中に隠れていた何か別の存在。決して表には出ようとはせずに、常にあたしの表象を写し続けた意識もまた、内側からあたしを吹き飛ばした。
〝シア!〟
確かに、それはシアであったに違いない。まさかそんな結果になるとはつゆ知らず、自分以外のすべてのイメージを追いやってしまったのだ。
5
もともとサイコ・ボムはサイコ・バリアの変形だ。都合のいいことに中心にいたあたしやシアまで粉砕するという結果にはならなかった。もちろん、最初にあたしがイメージした一面の野原というのは跡形もなく消え去り、何やら暖かい光に包まれた空間だけが残った。
周囲を見やるまでもない。あたしの正面にはメソメソと泣いている少女の姿があった。必死で自分を何かで隠そうとし、身体を丸めて両手で頭を抱えていたが、明らかにそれはシア本人の姿だった。
放っておいたらそのまま周囲に何かのイメージを甦らせ、姿を消してしまうに違いない。しかしあたしはまだこの世界に影響力を残している。そのままのイメージを固定させてシアを逃しはしなかった。
〝シア〟
ちょっと可哀相になってあたしは呼びかけたが、シアは体を震わせて拒絶の意志を表している。
どうしよう、とあたしは躊躇した。今のシアにはもう何も自分を護るものもない、言わばむき出しの存在だった。ちょっと触れただけでも、それは大きな傷となって残るだろう。このまま外界に戻るか、でもこんな状態のシアを放っていくのは忍びなかった。
〝手を、ミス・グリーン〟
〝えっ!〟
テレパシーだ。
誰かがあたしに呼びかけている。しかしシアのはずがない。
〝だ、誰?〟
不安になってあたしは答えた。
どうやら外部からこの世界にテレパシーを送ってきているようだ。しかし、このパターンはいったい誰だろう。よく知っているルディのではないし、クレイトン女史とも違っていた。
あたしは右手を開いた。
〝ゆ、指輪?〟
絶対におかしい。あたしはそんな指輪なんて持っていなかったし、この世界でイメージした覚えもない。それは綺麗な蒼い宝石の付いた小さな指輪だった。黒っぽい台座に刻まれた模様にはどこかで見覚えのあるような気がしたが、その時には思い浮ばなかった。
〝こんなの、どうするわけ?〟
〝シアに〟
つまり、この指輪をシアの指にはめればいいというのか。
「いったいどうして?」という疑問はこの時には感じなかった。「シア」と呼びかけたそのイメージには確かに、大変な愛情が込められていたからだ。こういう時にテレパシーは嘘を付けない。
それは母親が我が子に対するイメージだった。
あたしはゆっくりとシアに近付いた。
〝安心して、シア〟
さして多くを話しかける気にはなれなかった。それだけでシアが怯えているのがわかったからだ。
何て弱々しい指なんだろうか。手に触れただけで壊れそうだった。あたしはそれでも、慎重にシアの左手の小指にその指輪をはめた。
何かが変わっていくのが感じられた。指輪を中心にシアが蒼い光に包まれていったのだ。
〝
……〟
またテレパシーだ。しかし今度のそれは言語とは違ってただのイメージに近い。そしてその内容はあたしには明らかだった。
シアは光に包まれて今度はちゃんと立ち上っていた。あたしは既にここに用のないことを知った。
〝バイバイ、シア。今度会う時にはそのだだっ子は直しておくのよ〟
心なしか、無表情に見えたシアの目が微笑んだように思えた。あたしは久しぶりに心地よい気分になって意識を現実に戻していった。
眠りから覚めるようにあたしは目を開けると、先程のいい気分は一瞬の内に吹き飛んでしまった。
「な、何
……何が起こったの?」
空には青空と太陽が照り輝き、何やら焦げ臭い匂いが漂っていた。確か屋敷の中にいたはずだったのに。
「クレイトンさん!」
あたしは目を見開いて叫んだ。クレイトン女史の風貌にびっくりするのはこれで二度目だった。すすけた顔に可哀相なぐらいに黒澄んだ金髪。さしもの美貌もこれでは微塵も窺えなかった。
「ふう
……おかえり、ヨーコ」
深い溜め息の中にすべてが凝縮されているように思える。どうやら、シアの思考空間の中だけではなかったらしい、あたしのサイコ・ボムは現実の世界でもしっかり発動していたのだ。しかも強大なシアの力で増幅されて・・・。
周囲を見渡すと、そこは惨状としか言いようがなかった。マンドル家の屋敷は全壊し、既に役には立たないであろう数両の戦車が半壊していた。あちこちでうめき声なんかも聞こえてくる。し、死人は出てないよね、はは・・・。
「ご苦労さまでした」
なぜか、そういった惨状とは縁のなかったような様子で--そりゃ汚れひとつないってのはねえ--マンドル夫人と執事のレイノルズが立っていた。
深く礼をするシモーヌ・マンドルの指には、先ほどシアにはめたのと同じ指輪が光っていた。
あたしは、いつの間にかシアの身体を抱きかかえたまま、二人に微笑んだ。
エピローグ
何年か過ぎたら、あたしはもう一度シアに会わなきゃならない。
マンドル夫人--シモーヌ・マンドルは実はエスパーだった。それもアルジス出身のとびっきり優秀な。
星間に広がるガーランド教会の司祭であるモーリス・マンドル卿がどうやってシモーヌと結婚したかは想像に難くないとして、その母親が我が子のケアをなぜ「サイコ・ガード」なんかに依頼したのかっていうのには、ちゃんとした理由があるらしい。
親子のエスパーがそこまで深くテレパシーを同調させるのは、そのESPのパターンが似ていた場合、非常に危険だというのだ。いわく、融合は避けられない。
というわけで、あたしたちにその役目が回ってきた。
実際、どういうことをシアにしたかっていうと、わずか七歳にしかならない彼女にはその「力」はあまりに強力過ぎた。そこで一時的に心理的ブロックをかけて「力」を使えなくしてしまったわけだ。
あの時、シアの指にはめた指輪は、アルジスでは一般に用いられているESP中和フィールド・ジェネレーターで、あたしが頭にしているリングに相当する。幼心にも、母のしている指輪を見て、それを「力」をなくす仕掛けだとシア自身が思い込んでいたのだ。
エスパーの思い込みというのは凄いもので、現実にまでその効果を及ぼす。
あたしのサイコ・ボムだってその変形だ。
というわけで、その当事者--この場合はあたしが再びシアの思考に潜り込み、その指輪を外してあげない限り、彼女は「力」を使うことは出来ない。
もっともそんな状態がずっと続くとなれば、いずれは内からの圧力で人格崩壊を起こすらしいが、まあ一〇年や二〇年ぐらいは大丈夫らしいから、それまでに外せばいい。
それまでには、シアもしっかりと「力」を受け入れるだけの大人--精神的にだよ、もちろん--になっているだろう。
ところで、この事件でマンドル家周辺に与えた被害は相当なものだったらしいが、マンドル夫人の配慮で--ま、こうなることは覚悟していたに違いないけど--取り立てて問題にはされなかった。
P・S--
しかし、だからといってあたしがミンブル所長以下のお偉いさん方に、こっぴどく叱られなかったという保障は、実はどこにもないのよね。あたしは宇宙一不幸でひねくれた「サイコ・ガード」になっていくんだわ、きっと。
了