サイコ・ガード ヨーコ(CASE 5)
プロローグ
ただいまあ!
やっぱりここはあたしじゃないと締まらないわね。うっかりしているとルディに主役の座をとられちゃうもの。
あたしはヨーコ・グリーン。やくざな仕事(サイコ・ガード)にもたまには役得もあるんだ、と気分良くアルジスへの出張から戻ってきました。
もっとも、帰国早々にミンブル所長の嬉しそうな--言葉通りにとっちゃダメだよ--顔を見た途端にそんな気分はふっ飛んじゃったんんだけどね。
あーあ、また面倒なケースを押し付けられるんだろうなあ
……
ケース 5 「アダン」
1
「どう、ヨーコ?」
涼しい声であたしに話しかけたのはルディ・フォイス。州立アルベラン大学に通う彼女はあたしよりひとつ年上の二〇歳だが、サイコ・ガードとしては同期だ。色んな絡みであたしとは一番仲のいい同僚だった。
「うーん、ダメみたい。これもブロックなのかなあ、ひどく混乱しているようだけど」
そう言ってあたしは今回の非保護者から手を離した。安定剤でしばらくは眠っているだろうが、すぐに目を覚ますだろう。
シン・アダンは浅黒い肌をした健康そうな少年だ。奇異なことに、わずか八歳だというのに肩まである髪の毛はまじりけのない白だった。最初はびっくりしたけど、彼の出身地である惑星クーナンでは誰もが例外なく白髪らしい。
今回のケースを引き受けたのはまったくの偶然で、このところシティ北部のアイレン地区各地で繰り広げられる奇妙な現象の調査に赴いたのがきっかけだ。夜な夜なこの地区の住民が何かに襲われたり前触れもなく意識を奪われるということが相次いだ。もちろん物理的な被害はなく、それがESPによる集団幻覚と判断され、サイコ・ガードに調査の依頼が舞い込んだ。
ESPセンサーの反応を頼りに、それが半年前に移住してきたばかりのシン・アダンが眠っている間に無意識に引き起こしているテレパシーであることを突き止めたのがつい先日のことだ。
「ふーん、起きている時にはそんな風には見えないのにね」
興味深そうにルディが少年の顔を覗きこんだ。やめてよルディ、その仕草ってなんかクレイトン女史みたい。
「やっぱり深層意識にはたどり着けなかった?」
「うん
……、吸い込まれそうな感じで捉えどころがなかったわ」
思考空間には簡単に入れたし、同調もしっかりしていた。なのに肝心の深層まで行こうとするとまるで底無しのように手応えがなかった。
「起きている時には思考もしっかりしてるし、何かの暗示にかかっているとも思えないんだけど」
平常のシン・アダンは陽気で快活な男の子だった。どこか牧歌的な雰囲気はあるが、言葉遣いも悪くないし、物怖じしないところはこの年頃にしては可愛げがある。年上のお姉さんであるあたしとしては結構好意的に思っている。
「今度はルディが潜ってみる?」
あたしは彼女に助け船を求めた。
「だめよ! そんなにころころ相手が変わったら余計に混乱するじゃないの。今回は私はサポートに回ることにしたからね」
「えー、ひどいよそれ」
ルディまで厄介ごとをあたしに押し付けるなんて。人間不信に陥りそうだわ。
「仕方ないでしょう。これが成り行きというものよ」
結局言いくるめられてしまうのはあたしの方だった。
確かにルディの言い分は正しい。
ESP波の波形やパターンは個人差があるし、別のエスパーが入れ代わり立ち代わりでは非保護者にも負担になるだろう。さっきまであたしのESP波に同調していたんだから、いきなりルディが入っても同調すらできないはずだ。
「でも、明日とか明後日なら?」
一定期間のインターバルを置けばいいわけだ。あたしはルディに食い下がった。
「忘れたの、ヨーコ? 非保護者は明日には帰国することになっているのよ」
・
・
・
異例というべきだろう。あたしたち--あたしとルディ--は結局シン・アダンと一緒に惑星クーナンまで同行することになった。
結局原因はつかめず、心配したクーナンの親族がなかば無理矢理引き戻そうとしたわけだが、とりあえずの一時帰国という形だ。
本来、マイスレンに設置されたサイコ・ガードが星を越えてまでケースを引き受けるいわれはないはずなのに、どうやらあたしたちのうかがい知れぬ事情があったのだろう。どちらかというとミンブル所長以下マイスレン側が強引に同行を主張したらしい。
2
「こっちだよ、ヨーコ!」
幼いシンに引っ張られるようにしてあたしはクーナンで唯一の宙港であるセビル宙港に下り立った。
「はいはい、そんなに急がさないで」
どういうわけか、あたしはシンに気に入られた。好き嫌いの激しいあたしはどちらかというと子供の受けは良くない方なんだけど、シンに関しては例外だったようだ。
「精神年齢が近いのよ」と揶揄するルディの言葉は意地悪なものだったが、努めて保護者然とした態度はちょっとした嫉妬の表われだろう。
「ふーん、年齢と関係なしにみんな髪が白いなんて変な気分ね」
一望するだに、ルディがあきれるような声で口にした。逆に注目を浴びているのは黒や金髪のあたしたちの方なんだけど。
「申し訳ありません。こんなところまでご足労いただいて
……」
後方でシンの母親が恐縮した表情で話しかけた。
マリア・アダンは穏やかな風情と気品をあわせ持った貴婦人だった。シンと同じ白髪とはいえ艶やかな光沢を放ち、まだまだ若くて、いや若すぎるほどだ。ルディやあたしと同年代と言われても信じてしまいそう。
物静かだが、これで親族の反対を押し切ってマイスレンへ移住してしまうのだから、相当気丈な女性なのだろう。
「静かでいいところですね」
「ええ、歴史が止まったように何も変わらないのどかな星ですわ」
ルディの問いかけにアダン夫人は無表情に答えた。口には出さないが、クーナンへの帰航を嫌がっていたことは確かだ。シンの父親の事は聞きそびれているが、そのような夫人の風情から、あたしたちは立ち入ったことは聞かないようにしている。
シンの故郷であるヨツン村はエアグライダーを乗り継ぎ、最後は馬車まで使ってようやくたどり着いた高原にあった。この行程に三日を要し、地図上では南半球のスワク大陸のほぼ真ん中に位置する。
かたや恒星間航路が確立し、星を巡るだけの文明を控えながら、およそ機械化とは縁のない前近代的な村の様子はいっそ幻想的ですらあった。「歴史が止まったように」と言った夫人の言葉は誇張でもなんでもなかったのだ。
何処からか「メェ~」という山羊に似た鳴声を耳して、視野の片隅にその大群を捕らえた。牧畜が中心とは聞いていたが、あたしは一瞬目眩を覚えた。
「ハアハア
……。とんでもないところだわ。連邦内にこんな辺鄙な場所があったなんて
……」
「ちょっと言い過ぎよ。私は気に入ったわ」
ルディが顔をしかめてあたしに注意した。でも、あたしは疲れたぞ。傾斜の強い山腹をもう二時間も進んでいるんだから、もう一歩も動けない。
「情けないわねえ」
「しっかりしなきゃ、ヨーコ」
あきれかえるルディと、これまた元気一杯のシンに引きずられるようにしてあたしは村の奥に位置する屋敷にたどり着いた。木造で、茅葺きの屋根のそれはもはや電子ライブラリーでしかお目にかかったことはないわ。他の家よりはひとまわり大きく見えるけど、奥行きはもっとあるようだった。かなり地位の高い人物の持ち物だということは容易にうかがえる。
「来たか」
口髭をたくわえた男が出迎えた。肌艶などを見るとまだ若そうだが、頭髪も髭も真っ白では年齢を推し量るのは容易でない。切れ長の目もとは意思が強く、声の調子などはいつも怒っているようなイメージを思い起こさせた。あたしの苦手なタイプのおじさんだった。
「主人ですわ」
「え?」
夫人の言葉にあたしは振り返った。ルディもまた意外そうな視線を向けている。
「長い間留守にして申し訳ありませんでした」
「うむ」
屋敷に通されたのはいいが、あたしたちは来客用の部屋に取り残された。もちろんシンも一緒だったが、夫人は今から部族の会合に出向くのだという。厳しいまなざしが印象的だったが、
「シンと一緒にいてあげて下さいね」
あたしにそう言う夫人の言葉の方が心に残った。
〝やだやだ、あたしは嫌いだな、こんなドロドロしたの
……〟
〝文句が多いわよ、ヨーコ。これも私たちの仕事のひとつよ〟
〝それぐらいわかっているわ〟
〝ならいいのよ〟
傍らのシンを意識して、あたしとルディは草で編んだソファに腰掛ける一瞬にテレパシーでやり取りした。
ガラスすらない、開け放たれた窓からは優美な姿を見せる山々があった。
「霊峰アダンだよ」
そう言ってシンは窓から身を躍らせるようにして外を眺めている。懐かしい故郷の空気を胸一杯に満喫しているのだろう。ひどく気分がいいらしい。
そう言えば、クーナンに到着してより例の幻覚騒ぎは影を潜めているようだ。もちろん、マイスレンで調整したリングが功を奏しているはずだから外部に影響はないが、寝ている間でもリングに反応はなかった。エスパーであるという兆候も消えてしまい、ケースとしては完全に停滞してしまった。
「霊峰アダン」か、一族の名がそのまま山の名だというのは未開の部族では珍しくないとは思うけど、閉鎖的な村の雰囲気は余所者のあたしたちとしては居心地が悪かった。できることなら早々にケースを仕上げて帰りたかった。
「お飲み物をどうぞ」
そう言って入ってきたのは侍女らしい一五、六歳の少女だ。ぎこちない仕草はまだ新米さんなんだな、と思わせる。例によって長い白髪は背中でひと括りされているだけだが、青い民族衣装にあってまるで空になびく雲のようによく似合っていた。
「
……」
声に反応して切り株を模したテーブルに駆けつけたシンだったが、一瞬きょとんとした表情を見せた。
「初めまして、シン様」
にっこり微笑んでそう言い、シンはおずおずとではあるものの陶器のカップを受け取った。そのやり取りを見逃さないのはルディの方で、
「あなた、お名前は?」
興味深げだが、何やら探るような視線だった。
「アテと申します、金の姫様」
「金の姫さまぁ~?」
素っ頓狂な声を上げたのはあたしだった。ルディでさえ--青い目だというのに--目を白黒させている。
「はい、村の者ははみんなそう呼んでおりますわ。マリア様が二人の異国の姫様をお連れになられた、と」
「それじゃ、あたしも『黒の姫様』ってこと?」
「もちろんです」
星の住民全部が白髪という方があたしには不思議でならないが、逆に彼らから見ると金髪や黒髪というのは異様なのだろう。
やれやれ、ここまで牧歌的だとかえって可笑しくなってしまう。まだ「女神様」でないだけマシか。少女の素性に疑問をもったルディの方も気を削がれたみたいだった。
「私たちは別に姫様なんかじゃないのよ」
「同じことですわ。アダン様から大切な客人として遇するように、と仰せ付かっておりますから」
「助かるわ、仕事が終わればすぐに帰るけど、それまではよろしくね」
「はい、御用がございましたら何なりと申し付けて下さいませ」
丁寧に礼をしてアテは退出した。うまくはぐらかされたかな、と感じたのはずっと後になってからだが、その時は疑問に思うこともなかった。
「姫様ねえ
……」
あたしはため息まじりにシンに尋ねた。
「ねえシン、あんたの村ってみんなあんな風なの?」
年端もいかぬ少年には難しかったようだ。手にしたカップ--後であたしも飲んだけど、少し青草っぽい香りだけど甘みがあって美味しかった--を口もとから離し、
「うん、きれいなお姉ちゃんだったね」
ほお
……
「じゃさ、あたしとどっちが奇麗?」
「もちろんヨーコだよ!」
「よしよし」
思いっきり頭を撫でられてシンはいっそう嬉しそうにした。ルディの方は頭を抱えてあきれ顔を作る。いいのよ、言いたいことはわかっているから。
3
翌日から、あたしたちはシンに案内されて村や山のあちこちを出歩いた。もっぱら、シンに付き添うのはあたしの役目で、ルディの方は色々調べたいから、と屋敷や村に残ることの方が多かった。
「何を調べているの?」
「この地方の歴史とか伝承とか、ね」
そうか、ルディの学校での専攻は社会学だっけ、クーナンに出発する前もライブラリでたくさん資料を読み漁っていたものだ。
「おかげでいいレポートが書けそうだわ」
「あきれた! 大学の課題にするためにこんな星までやって来たの?」
「そうよ、もちろんサイコ・ガードの仕事は仕事だけど、ずっと大学をほったらかしにはできないでしょう? フィールド・ワークってことでゼミの教授には届けてあるわ」
当然という顔のルディの前であたしは蒼白となった。そう言えば、アルジスへの出張といい、今回だって長期欠席が続いているな、あたし
……
「ヨーコ、あなた
……まさか」
「あーん、パスパス! ケースが終わったら考えるから!」
シンに連れられて、あたしも村の中で顔見知りが多くなった。大抵は暇を持て余している牧童だとか、機織りに精を出す村の女性といった人たちだった。後で聞いたところではアダン家は村長(むらおさ)の家系で、頑固そうな父親とは似ても似つかない人懐っこいシンは村の人々から大切にされ、また可愛がられてもいた。
「よう、シン! 今日は姫様をどちらにご案内だい?」
「東の祠だよ、ダンおじさん!」
姫様呼ばわりされるあたしの方は窮屈な感じがしないでもない。その証拠にあたしひとりでいるときには声をかけてくる者はいなかった。敬遠されているというよりは恐れ多いといった風で、妙によそよそしかった。
ダンと呼ばれた初老の男は背中に弓を携えた猟師のいでたちだ。「東の祠」と聞いて不機嫌そうな表情をした。
「気をつけろよ、あそこは獣も多いからな」
「大丈夫さ、抜け道を教えてくれたのはダンの方じゃないか」
「本当に大丈夫なの?」
先程のやり取りを思い出してあたしはシンに聞き返した。もう随分と森の奥に入り込んでいた。昼間だというのに辺りはかなり薄暗い。
「この辺りには狼とかが出るらしいよ」
「狼って
……」
充分危険じゃないの。ちょっと、待ちなさいよ。
「平気だよ、ヨーコ。ほら!」
振り返って答えたシンの後方に何やら建物らしきものが見えた。崖を背にして森の奥に開けたそこは妙に明るく、祠自体が何らかの光を放っているかのようだった。
「な、何を祭っているの?」
不思議と嫌な予感がしてあたしは近づくのをためらった。
「山の神様だよ」
あっさりとそう言うシンはあくまで無邪気だ。なおもあたしの手を引いて先に進もうとした。
「こっちこっち、ヨーコ」
不安がなかったわけでもないけど、誘われるままにあたしは祠に正対した。造りは村のものと同じだったが、ずいぶんと古びてあちこちにひび割れとかが目立った。それでいて屈強なイメージを保ち、近くで見るとまるで後方の山々をすべて支えているような錯覚を覚えた。
(力?
……そんなばかな!)
サイコ・ガードとしてのあたしの五感がピリピリと告げる。アルジスのカシュアを前にして感じた時に似た強大なESPの存在を今、あたしは感じているのだ。
かといってセンサーに反応はない。ただの気のせいといえばその通りななんだけど。この不安はいったい何?
「あ、シン! 待って!」
急に駆け出したシンを見てあたしは慌てた。祠の右手から裏に回り、祠に隠された洞穴を見とがめた時のあたしは悲鳴に近い声を上げた。
「ダメよ、シン!」
洞穴に飛び込んだ少年のか細い腕を掴み、力ずくでも引き戻そうと試みたのはあたしの本能によるものだった。頭の中でガンガンと鳴り響くそれに、どうしてシンは気付かないのだろう?
シンだって仮にもエスパーなんだから。
「きゃっ!」
すがりつくあたしの手には逆に食いちぎられるような痛みが走った。振り向きざま、シンは両手であたしの腕を取り、八歳に過ぎない華奢な体格からは想像もできないような力であたしを引き込もうとした。
すでに体半分を洞窟の闇に浮かべ、薄ら笑いを浮かべた表情はぞっとするほど冷たかった。両の瞳は青白く瞬いたと思ったら次の瞬間には黄金の光を放ち、あたしは吸い込まれるように全身の力を失った。恐怖で体が動かなかったのだ。
この目は、人間の目なんかであるはずがない。
気を失わなかったのは、あたしも様々な経験をして成長した証拠だと思いたい。洞窟の中は、外から見るのでは想像もつかないような空間だった。
深い闇の中をずっと落下しているような浮遊感はどこかで感じたことがある。シンの意識に潜ったときに遭遇したそれと同じものだった。あの時はわけもわからず、逃げかえったというのが正直なところだけど、今はそれが現実にあたしに降りかかっているわけで、逃げようにも手がかりが何ひとつなかった。
それにしても、息苦しい圧迫感は相変わらずだ。あたしは吐き気を堪えるのが精一杯で、突然のシンの変貌に心を配る余裕がなかった。かろうじてつながれた右手はその存在を知らせはするものの、暗闇の中で目で確かめることはできなかった。
苦しい
……
溺れるような苦痛の中で、あたしは必死の抵抗を試みた。もがきながらも頭のリングに手をかけたのはあたしにしては上出来だったろう。
〝助けて、ルディ
……〟
4
さて、と
ヨーコとは別行動になってしまったとあっては、ここは私が紹介するしかないわね。しばらくは、私ことルディ・フォイスと一緒にお付き合い下さいね。
単独調査というのは少し心細いものがあるけど、ヨーコにはシンに寄り添ってもらうとして、私は比較的順調に村のあちこちで情報を収集することができた。気が進まなかったけども、幾人かの村人の思考を覗いたことすらある。やむを得ない場合を除いて、勝手に他人の思考をテレパシーで探るのはもちろん違法なんだけど、どうしても納得のいかないことがあったからだ。
最初、あたしはシンの意識がそうであったように、簡単に深層まで潜れないのは白髪のクーナン人に共通する特性かと思っていた。つまり、すべてのクーナン人がある種のESPを備えているのではないか、と推測したの。
でも、ヨーコが言ったような闇の領域は他の村人には見当たらなかった。的が外れたことは残念ではなく、むしろほっとしたわ。そりゃそうでしょ? 人口三億のクーナン人がすべてエスパーだとしたら、脅威以外の何ものでもないじゃない。
村に伝わる歴史や伝承の類は確かにあった。しかしそれは「山の神」を中心としたもので、高原に所在する未開の民族であればどれも似たような伝承をもっているものだ。その中で、神話に伝えられる天地創造の件(くだり)は多少は私の関心を引いた。
『往古(いにしえ)に伝う
かつて天の神々争い、天と大地を分かつ
咆哮とともに光の斧を振るい
猛き轟きは大地を裂き天を突く』
そうしてできた天を突かんばかりの高嶺が目前に広がる山々だというのだ。戦いに敗れた神はこの地に根付き、クーナンの人々の祖となった。
特に珍しいものではない。「往古の天の神々」が出てくる神話は実は銀河中の至る所で見受けられるものだ。数万年のオーダーで大昔には今の銀河連邦なんかおよびもつかないような文明をもって人類が銀河に広がっていたという学説の大きな証拠となっていることも確かだ。
しかし、「神々の争い」の部分まで描写したものはめったになくて、私の知る限り連邦本部が所在する星系アレンとアルジス公国に若干の記述が碑文として残っているに過ぎない。どういうわけか、アレンにしてもアルジスにしても、その詳しい内容を公開しようとはせず、一時期--といっても数百年も前の記録だけど--連邦内では公開を求めて騒動になったこともあるらしい。
この村に残る神話は碑文とか文字で記録されたものはなくて、すべて口伝えの伝承だということで信憑生に乏しいのが残念だけど、これだけ具体的で、しかも現在まで風習や信仰の中に根付いているとしたらちょっとした驚きだ。もし、どこかに証拠となるような遺跡とかが残っていて、それが公開されれば、大変なセンセーショナルを考古学会に投げかけることになるだろう。
私が不審に思ったのは、そういった伝承がアダンの村にしか伝わっていないということだった。だからこそこの世紀の大発見が一般に知られなかったわけだが、村長であり、御子の家系と噂されるアダン一族には再度関心を向けなければならなかった。ざっと見渡した限りではシン・アダンを除いてはエスパーの痕跡すら見当たらないというのも気にかかっていた。
ESP因子は、必ずしもそうとは限らないが、親から子へと遺伝されていくのが普通だし、私たちが真っ先に確認したのは母親のマリア・アダンとそして父親であるトラウ・アダンがエスパーではあり得ない、ということだった。他の村人たちにしても同様で、ここまで徹底してくると、シン・アダンの力すら何かの間違いではないのか、と疑いたくなるぐらいだった。
「私に何か尋ねたいことがあるとか?」
目通しされた執務室でアダン家の族長であるトラウ・アダンとまみえるには私もかなりの勇気が必要だった。ヨーコが「苦手」と評したように、すべてに超然とし、一族の威厳を一身に湛えたその風貌は他を圧倒するために多大な気を発散させている。そこまで気を張ってよくもまあ疲れないものね、というのが素直な感想だったが、何にせよ長というのはそういうものなのだろう、ご苦労なことだ。
「はい、ひとつはこの村でアダン家が果たしている役割について。もうひとつはシンの持つ能力について族長のご意見をうかがいたく思いまして」
「ほお
……」
鼻白んだ族長の機嫌の所在にはあえて無視して、私は正面から質問を切り出した。背景的なことはすでに調べは済ませてある。私が知りたいのはそれ以上のことだ。
「『アダン』は神の山に授かった名であり、御子たる運命を背負った者の証でもある。人の世にあって往古の神々が再び舞い降りるまでの一寸の間、その代弁者として民を導くのが使命というわけだ」
目新しくもない返答には閉口するものがあったが、ここまで自信たっぷりに言われると「はい、そうですか」と口裏を合わせるのもおっくうだった。
「神の降臨があると信じてらっしゃるのですね?」
「無論、そなたたち異国の者たちにはあずかり知らぬことには違いないだろうが、近い将来には再び、神々の輝かしい世界が復活することになろう」
近い将来? どうしてそんなことが言えるのだろう? 口振りからすると相当な自信だ。何か根拠かそれに近いものがあるというのだろうか。
「シンがそれに関わっていると?」
「む
……!」
当てずっぽうというわけではないが、この族長の反応は確信に近いものを私に提供してくれたわ。
「息子の様態についてはワシも苦慮しておる。何しろこんなことは例がない。それを何とかするのはそちらの役目ではないのかね?」
「その通りですわね。ESPについては、この星には馴染みのないもののようですし。独自の調査をするしかないでしょう」
「そうしてくれたまえ」
ふん、仰々しく着飾って威厳を保とうとしてはいるが、内心はびくびくしているのが見て取れる。使命感だけが服を着ているようなものだった。話していてあまり楽しい相手ではない。
「承知しています。いずれにしても、ケースをやり遂げないことには私たちも帰れませんから」
族長との会見は大きな進展とまではいかなかったが、状況的にはここら辺が限界というところだろう。全体が数千年も同じ習慣と信仰を続けてきたような村だった。根拠や伝承の裏付けとなる事実のかけらも残っていないだろう。
やはり、焦点はシン・アダンといったところか、ヨーコの方はうまくやっているのかしら。
「あら、ルディさん」
族長の部屋を退出し、通路から窓越しに山々を眺めていた私を呼び止めたのはマリア・アダン夫人だった。傍らにアテという少女が控えている。
「主人とお話しになったそうですね?」
「はい、村のことで聞きたいことがあったもので」
夫人は「そうですか」と穏やかにうなずいたが、
「あの人のことですからそんなに協力はしてくれなかったでしょう?」
「え、いやそんなことは
……」
こちらにはテレパシーという隠し技もあるし、別に協力的でなくても一向に構わないんだけど、それをここで表明するのはまずい。
「あなたに見せたい物がございますわ」
「は?」
そういえば、この夫人にも疑問があった。なぜマイスレンなどにシンを連れて移住する気になったのか? 今まで家庭の事情に遠慮して尋ねずにいたわけだが。
「構わないわね、アテさん?」
「奥様のよろしいように」
うやうやしく同意する少女だったが、なぜ侍女に過ぎないアテに同意を求めるのかは不思議でもあった。
「ええ、お願いしますわ。私は入れないから
……」
5
奇妙なことに、夫人は同行しなかった。私を案内するのは前のアテという少女のみだ。案内された部屋は長い階梯の底にあり、私の感覚では地下のそれもかなり深いところにあった。アテの手に掲げられたロウソクの光が頼りなく揺れて足元に不安を覚える。
「こちらです。金の姫様」
耳にくすぐったい呼び名で声をかけ、部屋の扉を開けたその奥には私の想像を絶する光景が広がった。
「きゃっ!」
最初は真っ暗と思えた部屋の中も、ロウソクの光が射しこむと同時に目を覆わんばかりの光の渦を投げ返したのだ。
「こ
……これは?」
調度も何もない白い部屋で、壁には幾何学的な模様が覆っていたが村の民族衣装にも通じてさして意味らしきものはなかった。奇妙なのは、眩(まばゆ)いばかりの光はアテの手にするロウソクの炎に同調し、瞬きと一緒に様々な色の変化を壁に映し出していたことだった。その光の源には
……
視認するのも難しかったが、部屋の中央には五本ほどの透明な棒が星座を象ったような奇妙な形で連なったものだった。
私は目を疑った。それは床から「浮いて」いるのだ。
「アダン家がこの地に興ってより数百年、この部屋はここにあったと聞いているわ。いかなる伝承にも伝わってない、これがアダン家の秘密
……」
もの静かな口調は神秘的ですらあった。そんな中で、妙に生々しく存在感を増した少女の姿が浮かび上がる。
「クリスタル・ハープよ。シン・アダンは半年前にこの部屋に迷いこみ、何かの啓示を受けたのでしょうね、以前の彼ではもはやなかった。夫人がクーナンを後にしようと決心したのはその時らしいわ」
アテの言葉は淡々として、今まで抱いていた控え目な少女というイメージを一掃するものだった。
そうだ、初めて会ったときから気になっていたんだった。「はじめまして」とシンに挨拶した空色の衣装をした少女。たとえシンが年端もいかない子供だとしても、こんな小さな村で「はじめまして」はないでしょう?
「クリスタル・ハープと言ったわね、いったい何でできているの?」
そういう問いかけと同時に私はアテの心を覗こうとした。膨れあがる不安が無意識に答えを探そうとしてもがいたからだ。
だが、
「よしなさい!」
厳しい静止に私も踏みとどまった。私は冷や汗とともに言葉をつないだ。
「エスパー
……なのね?」
「そうよ。この部屋には特殊な結界がしいてあって、エスパーでなければ入れないの。マリア夫人が同行できなかったのはそのためよ」
静かにハープに歩み寄る姿は堂々として、そしてそら恐ろしかった。
「振動クリスタルには
……マイスレンの方では次元クリスタルっていう方が通りがいいのかしら。不用意なESP波は危険だわ」
じ、次元クリスタル? それって
……
「亜空間通信とかに使われているものよね?」
「ええ、空間的、時間的なあらゆるエネルギーを次元的に変換して放射する。本来、自然界には存在するはずのない物質よ」
このクリスタルに関する知識は私にも教科書程度のものしかない。
知っていることといえば、たとえば分断したとしてもその切断面は時空を超えてつながっていて、数千光年離れた場所であっても完全な同時性を保っているとかいう曖昧なものだ。
これを利用して片方に通信波を流し込めば信号の劣化や距離を全然気にすることなしに通信ができる。これが今主流の亜空間通信の原理だった。
極めて希少だけど理論的には分子結合の限界まで分断しても効果は変わらず、たった一握りのクリスタルで現在運行しているすべての宇宙船の通信機器をまかなっているという噂だった。
それを考えれば、目の前のハープは巨大ともいえるもので、価値にしていったいどれほどのものか、想像もできない。
「通信に使うというのはこのクリスタルの性質のほんの一面を利用しているに過ぎないわ。平面的な振動は三次元的に、空間的な振動から重力波はもとよりESP波であってさえその次元を変換してより大きなエネルギーにしてしまう。使い方を誤ると星ひとつを破壊するだけでは済まないのよ。まして、こんなに大きいと
……」
「いったい、どうしてこんな物が?」
「太古の遺産と言えばそれまでかしら。あたしが『ハープ』と言ったのは、前にその使い方を目の当たりにしたことがあったからよ」
そう言ってハープの上に手をかざすと、リーンという涼しげな音が鳴り響いた。
「以前は気にも止めない小さな星系だったんだけど、一ヵ月前から妙なESP波の乱れを関知したの。あたしがやってきたのは、その調査と問題があれば処理するためよ。まあ、くじ運が悪かったわけだけど」
ちらっと舌を出して苦笑いする。こちらの動揺を誘っておいて自分は飄々と状況を楽しんでいる様子にはどこか見覚えがある。
「あなた、まさか
……」
私は半分は期待を込めた問いかけをしようとした。だが、逆にアテは一瞬不思議そうな目をして私に問い返してきた。
「彼に会ったことがあるみたいね?」
え? それじゃ?
しかし、すぐに少女は表情を変えた。
「話は後ね、黒の姫様が助けを求めているわ」
毅然と言い放った優美な口もとがきつく結ばれた。当然のように私にもそのテレパシーが届いていた。
〝助けて、ルディ
……〟
6
どれぐらいの時間が経ったことだろう。胸を締め付ける圧迫感は突然なくなってあたしは再び陽光の下に投げ出された。
「きゃっ!」
頬にかぶったしぶきが冷たい。幅の狭いせせらぎの伝うそこは左右を崖に阻まれた渓谷で、あたしの見覚えのない場所だった。確か、祠にたどり着いたのは昼前のはずだったが、赤紫に染まった山肌はそれが既に夕刻にさしかかっていることを意味した。
「シン、どこ?」
はっと我に返り、あたしの非保護者の姿を探した。みっともない、あんなに怖い思いまでして追いかけたのに見失ってしまったりしたら、まるでばかみたいではないか。あたしは、何よりも骨折り損というやつが嫌いなのだ。
辺りを見回して、川辺に横たわるシンの姿を見た時には胸を撫で下ろした。駆け寄って抱きかかえる。
「しっかりして、シン!」
一見して外傷はないが、どうにも意識を取り戻す気配はなかった。
「弱ったなあ
……」
村に連れかえろうにも、ここがどこかもわからない。それよりも徐々に生気がなくなっていく少年の状態が気がかりだった。日が落ちて薄暗くなる景色の移り変わりに呼応するように弱々しい。
もう一度、シンの意識に潜って今度こそケースを完了してしまうしかないのかしら。でも、先程の闇の空間を体験してしまった後では、その勇気が今のあたしにあるはずがないじゃないの。
途方に暮れるあたしだったが、そのためか周囲の異変に気付いた時にはすでに遅かった。
--グルル
……
「ひっ!」
ぞっとする殺気が全身を襲い、振り返ったあたしは毒々しい光を放つ無数の眼光に見据えられて声を失った。
牙をむく
……狼のような獣の群れがあたしたちを取り囲んでいた。いずれもクーナン人の白髪に似て光沢のある真っ白な毛をしている。血のように赤い口もとには凶悪な牙が並んでいた。
ちょっと
……冗談じゃないわよ!
ピリピリと感じる恐怖は猛獣に襲われるというものだけではない。この渓谷を埋め尽くすような波動は間違いなくESP波によるものだった。それもにじみ出るように重苦しく濃い。
人間以外に能力を持った生き物がいるなんてあたしは聞いたこともないぞ。
〝あ
……あたしなんて大した力もないんだから、そんなに怒らないでよ〟
引きつった口ではしゃべることもままならない。テレパシーによる交信はかすかな希望に賭けたものだった。しかし、これほどのESPを発散させながら狼たちの思考はまるで捉えどころがなかった。そう、シンの意識に存在した闇の領域と同じくすべてかき消されてしまったのだ。
動物と人間とでは思考のパターンが根本的に違うのかしら、逆にあたしは防ぎようのない恐怖のテレパシーにまともにさらされることになった。
〝う
……うぁ
……!〟
腕の中のシンの体にすがりつくようにしてあたしはうめいた。意味も何もない、ただ食いちぎられるように思考を分断される。外界では動きの止まったあたしたちをめがけて襲いかかる狼たちが視野に入った。
〝い
……いやぁー!〟
〝ヨーコ!〟
ルディのテレパシーだ。間一髪、あたしの体は引きちぎられることなく、強力なサイコバリアによって狼の牙から免れた。
--ガギッ!
それでもバリア自体が揺れ動くような衝撃が走った。しかし、このバリアは悪名高いあたしのものではないぞ。
「大丈夫、ヨーコ?」
心配そうな顔でルディが駆け寄ってくれた。
突然の救援はいきなり空間から現れた。あたしも何度か見たことはあるテレポートによるものだった。片膝をついて勇ましく狼の襲撃を見守るのはアダン家の侍女であるはずの少女の姿だった。
「このバリアもこの娘がやっているの?」
「そうよ。ヨーコのよりずっと強力でしょ?」
「もうっ! そんな場合じゃないでしょうに!」
ともかく、あたしはルディに支えられて安堵を取り戻した。まだ足元はふらふらしているけど、安全なバリアの中にあって多少は状況を把握する余裕が生まれてくる。
戦いは小康状態だった。といっても絶え間なく狼たちは襲撃してくるが、強固なバリアに阻まれてこちらに影響はない。
「無事で良かったわ」
大変な消耗があるはずのサイコバリアを張り続けながら、アテという名の少女がにっこり笑って言った。
「ありがとう、アテ」
あたしは心底感謝した。エスパーだったのか、という驚きもそうだが、落ち着いたその表情はすごく心強かった。
「どういたしまして。でも、あんまり安心はできないのよ」
「どうして?」
「バリアが揺れているわ。物理的な攻撃には無敵なのよ、たとえ核攻撃にだってびくともしないはずなのに」
そういえばそうだ。次元の隙間を利用したサイコ・バリアはあらゆる攻撃を弾きかえすことができるのに。
「さすがは往古の神々の力なんでしょうね」
かといって動揺している風ではない。むしろこの状況を楽しんでいるようだ。
「神? この狼たちが?」
ルディが怪訝そうに問い返した。
「そうよ、あたしもまさかとは思っていたけど
……。この狼たちには実体はないわ。思念体みたいなもの。山々を多い尽くすような強力なESPが産み出した幻覚よ」
アテの言葉に、あたしはピンときた。幻覚といえばシンの引き起こした事件に通じるものがある。まさか
……、
「シンの力がそうさせているのかしら」
「考えられるわね」
あたしの思い付きにルディが同意の返答を返した。アテの方は口もとに手をやって数瞬の間考えていたようだが、
「その子にはそれほどの力はないけど、触媒にはなっているかも知れないわ。それがアダン家の血筋の役割だとしたら、ね」
なるほど、シンの身体を通してこれだけ強力なESPの渦が猛威を揮っているとしたら、ここまで昏睡しているのもうなずける。
「どうする?」
「仕方ないでしょ」
「やっぱり
……?」
あたしは助けを求めるようにルディとアテの顔を交互に見た。
「とにかく、実体のない相手だときりがないわ。今のままだと防ぐのが精一杯、シン・アダンとこのESPの主とのコンタクトを断ち切ってくれればいいわ。お願いね」
今一度シンの意識に入り込んでケースを続けなければならないわけだ。
「でも、あたしは一度失敗しているし、あの闇の中を渡りきる自信はないのよ」
「大丈夫、ルディさんにも手伝ってもらえば」
「そんな! 同時に二人なんて不可能よ!」
あたしとルディは同時に叫んだ。他人の思考の中に入り込む、というのは生易しいことではない。離脱した後も、しばらくは非保護者の思考波に影響がでるほど、実は大きな負担をかけているのだ。ひとりでもそうなのに、二人一緒だなんて、きっとシンの思考はどちらと同調していいかわからず、精神が分裂してしまうに違いなかった。
「最初にあなた方二人が同調して、それから入り込めばいいの」
なるほど、と狼たちからの攻撃を防ぎながらのアテの説明は簡潔で、しかもわかりやすいものだった。
「闇の領域は人間の思考とは異質の存在だからそう思えるだけ。ルディさんにはその辺のコツは分かっているはずだから」
「え?」
あたしは驚いてルディの顔を振り返った。
「
……なぜ?」
「何となくよ、さあ、急いだ方がいいわよ」
何気なくルディの問いかけに微笑んで返したが、その実かなり消耗していることは確かだった。バリアを張っているだけではない、どうやらあたしが一度襲われた異質の精神攻撃にも耐えているらしかった。
「そうね
……行きましょう。ヨーコ」
「ええ」
7
最初、ルディの方があたしのESPに同調する形で潜航が始まった。慣れ親しんだ彼女の思考波は簡単に同調し、そのままシンの意識に入り込む。イメージ的には二人並んで思考の波を乗り越えるようなものだ。
ただし、シンの外見からは想像もつかなかったが、到底穏やかとは言いがたい嵐のような思考空間だった。もの凄い勢いで闇が渦を巻き、近寄ればそのまま引きちぎられてしまいそうだった。
〝どうすればいいの?〟
あたしは横のルディに問いかけた。
〝説明するのは難しいわ。簡単に言うと無視することよ〟
〝なんですって?〟
〝ついてらっしゃい〟
そういってルディはあたしの手を取って進み出した。完全にコントロールを奪われてしまったわけだけど、その後にルディがやったことは思いもよらないことだった。頑丈に思考を固めて突き破るのかと思っていたけど、逆に限りなく--思考空間では無限に--希薄に意識を拡げてまるで闇に同化してしまう風だった。
〝ちょっと、どうするの?〟
〝黙って!〟
厳しい叱咤に強引にあたしの思考もねじ伏せられてしまった。ここでルディとの同調が崩れると二人ともばらばらに飛ばされてしまうに違いない。
〝見つけた! ヨーコ、シンを捕まえて!〟
ルディの合図と一緒に、あたしもその存在を感知した。まるで嵐の源のように流れの中心には確かにシンのイメージがあった。目を閉じて無表情に眠り続けるようなシンにあたしはすがりついて体を支えた。ルディは未だにイメージを拡げ続けていて、あたしにはその存在を確認することしかできない。
〝ここからね〟
源にはたどり着いた。このシンの体を媒介にして凶悪なESPが吹き出していることは確かだ。でも、どうやって塞き止めればいいんだろう?
〝アテが言ってたでしょ? シン本人を完全にESPの流れから隔離すればいいのよ〟
ルディがあたしのすぐそばで再び実体化し、闇の渦が一層激しく暴れ出した。
〝ごめんね、ヨーコ〟
済まなそうに、というより何やら意地悪げなテレパシーだ。
〝え、何?〟
〝エスパーなんて
……!〟
ぎく
……。あ、待ってルディ! それは反則よ!
〝大嫌~~~~い!〟
〝きゃあ!〟
これだけ凄まじいESPの渦を力ずくで弾き飛ばすような力はあたしのサイコ・ボム--ああ、嫌な響きだわ--にはたとえルディと同調していたとしてもありはしない。ただ、シンとのコンタクトを断ち切ることが目的であれば、彼にとりついた状態で一瞬とはいえそれに成功した。サイコバリアと同様に、シンの体と中心として外部とは次元の隙間で切り離したのだから。
一変して、辺りは平穏だった。凶悪なESPの渦は消え去り、むき出しのシンとあたしたちのイメージだけが取り残された。
それにしても、あたしと同調しているのをいいことに、よくもやってくれたわね、ルディったら
……。
〝怒らない怒らない。一度やってみたかったのよ〟
陽気に笑うルディには申し訳ないという風はまるでなかった。
〝ひどいわね。あたしがどんなにこれが嫌いか知っているでしょう?〟
〝いいじゃない、どんな力だって使いようによっては役に立つものよ〟
〝使うったって、あたしが自分では使えないじゃない〟
〝そっか、じゃ必要になったら呼んで、いつでもスイッチを入れてあげるから〟
〝ルディ!〟
〝あははは、じゃそろそろシンが目を覚ますわ。後はお願いね〟
もう
……。ルディはさっさと同調を切って離脱してしまった。なんて逃げ足の早いんでしょう。
ともかく、シンの目覚めをあたしは待った。
〝
……よ、ヨーコ?〟
〝そうよ、怖かったでしょ、シン?〟
〝うん、でも
……山の神様は優しかったよ〟
〝
……そう?〟
優しい、か。あたしには身震いするほど狂暴だったのに。でも、ここはケースを早く完結させてしまおう。
〝あなたにはESPは少し早いみたいね。これをあげるわ〟
〝何?〟
あたしは自分の頭にあったリングをシンに被せた。
〝力を抑えるものよ。大きくなったらマイスレンのあたしを訪ねてきなさい、約束よ〟
〝うん〟
本当に素直で可愛いったら。最後にあたしはシンを抱きしめてから思考を離脱した。
8
「こんな力があるんなら最初に言ってくれれば良かったのに
……」
外界に戻ったあたしを待っていたのはそんなアテのセリフだった。
「危うく死ぬところだったのよ」
昔、マイスレンでのあたしの最初のケースの時と同様に、あたしのサイコ・ボムは外界でもその威力を発揮したらしい。その時の非保護者--シア--の強力なESPとは比較にならないが、ルディとの同調で増幅されたエネルギーは渓谷を焦土と化すには充分なものだったようだ。
でも、その中で無傷で笑っているあなたはいったい何者なのよ?
「これで問題のほとんどは解決したわ。後は後始末ね」
まだあるの? あたしはたいがい閉口してしまった。
「ESP波の圧力は相変わらずですものね、さっきみたいに凶悪じゃないけど」
ルディが周囲の雰囲気を見渡してそう言った。
「そう、力の源はつきとめたわ。こっちよ」
そう言うなり、あたしたち--あたしとルディ、それに憔悴してまだ目の覚めないシン--もアテのテレポートに巻き込まれた。一度体験しているルディはそうでもなかったが、あたしはちょっとしたパニックに陥ったわ。そうか、闇の洞窟での体験はテレポートの一種だったのか。
アテの招いたそこは、シンに連れられて迷いこんだ東の祠のある広場だった。
「あん、まだ光っている
……」
力が決して衰えていない証拠だった。山の神を祭るこの祠は相変わらず凄まじいESP波を放射していた。
「光っているのは純粋なESP波が空間の過飽和にまで膨れているからよ。自然発火のように溢れたエネルギーが光に変換されているだけ。ここまで濃密なESPなんて、あたしも初めて見たわ」
「また戦うの?」
恐る恐る口にするあたしの声は震えていた。応じる少女の返答は頼もしいといえばそうだが、安心していいものやら。
「星ひとつ巻き込む覚悟があったらね」
「じょ、冗談よ
……」
「多分、そんなことにはならないわ。さあ、出てらっしゃい!」
言うが早いか、頑強にそびえていた祠が音を立てて崩れ出した。中から現れたのは一匹の純白の狼だ。まだ若く、小犬といっても通るぐらいの大きさではあったが。
「げっ!」
あたしはシンを抱えたまま後ずさったが、同じく硬直したルディの体にドンと突き当たった。
「だ、大丈夫よね?」
声が震えているよ、ルディ。でも、狼のその金色の瞳は前のように凶悪な光は帯びていないようにも見えた。
「ひっ!」
突然、白狼の姿がかき消え、眼前に姿をあらわした。
こいつ
……
たかが獣のくせしてテレポートまでやってのけるのか。身も凍らんばかりの脅えとは裏腹に、憮然としたものを感じてしまうのはあたしの能天気さの賜物だと、いつもルディにからかわれる。
どすんと尻もちをついたあたしだったが、狼は眠るシンとあたしの頬を交互に舐めまわした。こら、こらシンはともかくあたしは関係ないだろうが。
「あら、気に入られたようね。そうか、山の神のうちシンと同調していた部分がその狼に具現しているんだわ」
あきれた風にルディが言って揶揄した。ちょ、ちょっと、いつもいつも
……なんであたしがそんな目に遭わなきゃいけないのよ。
とはいえ、自分にすり寄ってくるものには人間だろうが狼だろうがあたしも悪い気はしなかった。よくよく見るとまだ小さいし、可愛げもあるじゃない。
--あれ?
ふと見ると、白狼の首もとには何やら光るものがぶら下がっている。
「クリスタルのかけらね。これはあたしがもらってもいい?」
興味深そうにアテが近づき、首にぶら下がったクリスタルを手にとった。
「え、勝手にそんなことしていいの?」
怒り出すんじゃないかとびくびくして叫んだあたしだったが、勢いよくじゃれつく白狼によって撃退されてしまった。
「わ、わかったから少しは離れなさいってば」
・
・
・
「次元クリスタルはね、太古の銀河文明の記録をとどめているという説があるの」
シン・アダンのケースは無事終了し、あたしたちはマイスレンへの帰途のためにセビル宙港のロビーで出港を待っていた。
アダン一家が総出で見送りに来てくれ、シンにいたっては泣き出しそうな表情だ。驚いたことに族長のトラウ・アダンはその険しい表情を一変させ、シンやマリア夫人と仲睦まじい父親の風情を見せている。どうやら、シンを巡っての夫人との諍(いさか)いも問題が解決したことで沈静化したのだろうか。顔つきにもほっとしたような余裕が感じられた。
その中でアテは手にしたクリスタルをもてあそびながら質問に答えてくれている。
「もちろん未だ解析はされていないけど、ESP波と何らかの関係はあるらしくて何人かのエスパーは偶然、その中のイメージを垣間見たことがあると言っているわ」
「あなたはそれを集めているの?」
もっぱら質問を投げかけているのはルディの方だ。
「まあ、集めてないわけじゃないけど、今回のは偶然よ」
「そうよね、クーナンを取り巻くESP波の異常を調査しに来たんだっけ」
「ええ、封印されていた力が突然シン・アダンを吹き出し口にしてしまったことが原因でバランスが崩れたのね。このままだと惑星が崩壊してしまったかも知れないわ。でももう大丈夫、力は元通り山々に収まったし、力自体も随分弱まったから。また蓄積されて危険なほどになるのはずっと先のことでしょう」
「ずっと先って?」
「千年は大丈夫よ。あたしが保証するわ」
千年って、その頃にはあなただって生きていないでしょうに。ま、だからアダン家の方は平穏を取り戻したわけか。神の降臨もその時までおあずけだものね。
--ビービー
……
あっと、もう出発の時間だ。注意を呼びかける宙港のアナウンスがそれに続く。
「最後に、これだけは答えて」
「いったい、あなたは何者なの?」
「やっぱりアルジスのエージェントなの?」
あたしと同様にルディもその疑問を口にした。
アルジス
……なるほど、それならばこんなに強力な力もうなずけるわ。そう思ってあたしはアテの顔をまじまじと見つめた。
「あー!」
「くすっ、思い出した?」
外見に惑わされなければ、あたしだってすぐに気付いたことだろう。存在感や力の放つイメージといったものは特徴的で、一度知ってしまえば見間違うはずはない。
あざけるように少女の髪は純白から変貌し、あたしと同じ黒髪へと変わっていった。顔かたちも少しだけど印象の違うものへ変わっている。もっとも、あどけない美少女だということは相変わらずだが。
「エフィ!」
アルジスの最強のエスパーにまたしても出会ってしまったわけだ。
「縁があるわね、でも急ぐ方がいいわよ。また会いましょう」
「あ、ええ
……ヨーコ、ぼーっとしないで、船が出るわよ!」
「ぼーっとしてたのはルディだって一緒でしょ。そんなに引っ張らないでも
……」
ルディにうながされ、あたしたちは足早にゲートを駆けくぐった。
エピローグ
「それは大変だったなあ」
いや違う、この赤毛の所長は惑星クーナンがそんなに危険な星だということを知っていたに違いないわ。だからこそ、クーナン行きを強引に推し進めたのよ。
「何はともあれ、無事でなにより」
「ええ、おかげさまで貴重な体験をさせていただきましたわ」
ルディの口調はあたしなんかよりずっと嫌みっぽいものだった。彼女とて、あたしと同じ見解なのだ。
でも、ルディはいいわよ。自分のゼミに提出するレポートに充分過ぎるほどの成果を持ち帰ることができたんだから。あたしなんか新学期のカリキュラムと当分の間にらめっこが続きそうだわ。
あたしはサイコ・ガードとはいえ、一介の学生アルバイト。留年の危機に瀕しているなんてあまりに不幸じゃない?
P.S
ひとしきり自分の不幸を嘆いたところで、だがしかし物語は終わらなかった。
「ところで
……それはいったい何だね?」
へっ?
「よ、ヨーコ!」
所長の指差すあたしの足元には不吉な感触が伝わってきた。傍らのルディは手をやって驚いた口を隠した。まさか
……
「クーン
……」
あ、頭に割れるように痛みを覚え、あたしは虚空を見上げた。
その後、「アダン」と名付けられた純白の狼はいつの間にか親子三人のあたしの家庭に新たな構成員として居座ることになった。
少なくとも、宇宙最強の番犬であることは間違いはあるまい。
お願いだから
……学校にまで付いてこないでね
……。
了