初雪と酒と氷の音と
雪の珍しいこの土地では、年を越してからようやく訪れたそれを初雪と呼んでいいものかどうか。ともかく、年明け早々から店を開いてはいるが、きっとその冷え込みが厳しかったのだろう、少ないとはいえ客も長居をしがちだった。
とりわけ、正月というのに帰郷のタイミングを失ってしまって、人恋しさを紛らわせるためにやってきたこの客などは……。
その男は、週に一、二度やってきては半分以上は食事が目的で、ビールもほどほど。見たところ三十過ぎの社会人に求められるほどには--近頃はそれができない輩が多いが--礼儀もわきまえている。うらぶれた繁華街のちっぽけな居酒屋の店主、それも男とそう歳も変わらない私--気取って品のいい店を目指したが、そううまくはいかないものだ--から見れば、きわめて質のいい部類に入る客だった。
「あ~、ほら……なんて言ったかな」
軽く挨拶を交わすほどには、まあ「常連」といっていいはずの客だが、実のところそう込み入った会話をしたことはなかった。
今日は珍しく長居をしてくれている。酔いも心地良さが勝っているぐらいで、いつもよりは量が多かった。深飲みするタイプではないことはだいたい想像はついていたが、意外と強い。
いつしかビールはウイスキーに変わっていて、他に客も少なかったこともあるが、少しは気安く話ができた。
「昔あっただろ? 即席ラーメンの中におみくじみたいなのが入っていて……」
「あぁ、ありましたね」
私は古い記憶を引っ張り出して、そんな企画をやっていたメーカーがあったことを思い出した。たしか、たまに「当り」で五円玉が入っていたり、大当たりなら千円ぐらい……これは当りくじを郵送したら送金してもらえる、とかそんな内容だったはずだ。
「昔、俺が子供のころに一度当たったことがあってね」
「ほお、良かったじゃないですか」
「まあな、それはいいんだが、おふくろがそれで味をしめちまったっていうか、それからしばらくずっとその即席ラーメンばかり買ってくるんだ」
--くすっ
軽く微笑んだ私に、男は「ほらね」といった風に肩をすくめた。
「子供ながら、『せこいな』って感じたもんさ」
「いいんじゃないですか」
目配せするように、目を瞬かせて男がこちらを見た。
「きっと、幸薄い人生だったんでしょうね。そんな小さな幸運に幸せを感じてしまうほど……。よほど嬉しかったんでしょう」
「ふーん、そんなもんかねぇ」
--カラン
少し照れくさそうに、頬杖をついてグラスを揺らして氷の音に聞き入る。話の間に何度か見せた男の癖のようなものだろう。
「幸薄い…」に心当たりもあるのだろうか、一瞬、懐かしそうな目をした。
「へっ、しみったれた話になっちまったな」
「まったくです」
苦笑してそう応える私に、男は同じように口元を歪ませて笑みを返した。
「マスターもどうだい?」
--カラン……
爪で弾いて、再びグラスを揺らす。先ほどとは違った意味で照れくさそうに片目で合図した。今度は私が恐縮する番だった。
「おっと……じゃ、頂きますか」
今宵最後の客は、雪に何か思い出したかのように……そんな心を私の店に預けていった。「一度顔を見に帰ってやるか」と、そう言い残して。
そうしてあげてくださいな……。
- おわり -