雪がとけると……
今年最後のスキーは、あいにくと天気に恵まれなかった。
「雪がとけると……」
「え?」
少し滑っては視界を遮る雪に閉口し、休憩がてら立ち寄ったその店は、ゲレンデの中ほどの、まるで背後の林と同化しかねないほど古ぼけた小屋のようなところだった。
ちょっとばかり暖か過ぎる店内は、まるで霞がかかったように曇っていて、古木を組み合わせて作ったような壁や柱……そこらかしこが、白熱灯のせいだろうか、黄ばんだ色を返している。
「何になる?」
悪戯っぽいそいつの口元が時折、そうやってはウブなあたしをからかって……目配せと、小さく揺らす人差し指の促す先を覗き見た。
そこには、奇妙な形のドリップに、髭もじゃの店主が豪快に何やら白い塊を放り込んでいるところだった。
「ひゅ~っ」
意外なものを見つけたときのあたしの口癖を、何故かとっても気に入ったのだと、そいつは言ったっけ。行儀が悪い、と何度も母に叱られたんだけど。
「あれって?」
(雪よね、あれ)
そいつは肩をすくめて、面白そうに肯定の仕草を返す。確かに面白そう。
電熱線で暖めながら、少しずつ溶け出す雪が挽いたばかりの珈琲豆を、それこそゆっくりドリップしていく。きっと店主の手作りだろう。
だって、あんな形は見たことない。
「知ってたの?」
「まあね」
ふーん、そういや、こんな人気の少ない雪山を選んだのはそいつだった。
こんなに待たしたんじゃ、客が逃げるぞ、と……苦笑しながら、たっぷりと時間をかけて褐色の雫がサーバーを満たしていく様子と、それをニヤニヤしながら見守る髭の店主。
いつしか見入ってしまっていたあたし。
やっと、運ばれてきたコーヒーを見て、あたしが少し残念そうな顔をしたのに
(気がついたかな?)
意を決して口に含むと、決して冷た過ぎはしない、それはほんのり甘いアイスコーヒーだった。なんてやわらかい……そっか、
「さっきの答え……」
「え?」
今度は驚いたのはそいつの方、舌を出して笑って見せるのはあたし。
「雪がとけると……『春』になるのね」
「このコーヒーの名前でしょ?」
うん、と微笑むそいつの顔は、店のぬくもりに馴染んできたのか、ほんのり赤く、まるで子供のように。
一足早い雪解けの味がしたコーヒーを、両手で包んで味わいながら、そんなそいつの顔を眺めてた。
- おわり -